神沢杜口の言葉②
「仮の世の 仮の身には 仮のすみかこそよかれ」
安定した高収入を得られる職を捨て、文筆に人生をかけた神沢杜口(神沢貞幹)の言葉です。
奇跡のような半生については①に記しました。
杜口という変わった名前は、俳諧にも造詣が深かった彼の俳号です。
貝原益軒の「無用の言葉を省きなさい。言語を慎むことが、徳を養い、身を養う道である」という教えから、「寡黙」を表す「杜口」を名乗ったと言われます(「杜」の字義は「閉じる、ふさぐ」)。
ジャーナリストとしての杜口が書き上げたのが『翁草』です。
全200巻に及ぶ随筆集で、当時(江戸中期)の社会・風俗・地誌の他、古来の伝説や奇事も含めた壮大な“記録文学”です。
かの有名な森鷗外の『高瀬舟』は、『翁草』から着想を得ています。同じく鷗外の歴史小説『興津弥五右衛門の遺書』も『翁草』に載っているエピソードを基にしています。
前半100巻を完成させたのが62歳のとき。
『翁草』というタイトルは、杜口が自らを白い綿毛をつけたオキナグサになぞらえた、というのが私の想像です。
この白い綿毛が風にのってふわふわと飛んでいく軽やかさが、彼の執着のない生き方を象徴しているように思えます。
44歳で妻を亡くしてからは独身を貫き、娘からの同居の勧めも断り、京都市中を18回も転居しながら、82歳まで原稿を書き続けた杜口。
いわゆる年金のような収入があったとはいえ、報酬の期待できない世界に身ひとつで飛び込み、根無し草のように転々としていた… 「その心は?」と問われたときの言葉でしょうか。
人生は地球での「仮」の命。
居所への執着を捨てることで、自由に軽やかに生きることができる。
そう語っているようです。
娘からの同居を断った時も、次のように心境を表しています。
「遠きが花の香」
密接になり過ぎて互いを疎ましく思ったり、思いやりをかけすぎて辛くなるよりも、遠くにいて想い合う方が嬉しい気持ちになれる、ということでしょう。
ふわりと花の香りがするような、共依存しないゆるやかな関係が心地よいと考えていたようです。
歩いて、書いて、また歩き…。ライフワークの随筆制作に直向きに取り組みながら、俳人として短い調べを紡ぐことも楽しんだ人生でした。
仮の世を生き抜いた翁は、オキナグサの白い綿毛がふわりと風に乗っていくように旅立ちました。
杜口の墓は、慈眼寺(京都市上京区出水通七本松東入ル)にあります。
主な参考文献:
立川昭二『足るを知る生き方』(講談社, 2003)
帯津良一『長生きできる? 江戸時代の常識にとらわれない生き方』(AERA.dot., 2019.1.25)