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「スミレはただスミレのように咲けばよい」 ~世界的数学者 岡潔の言葉~

「私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えてきた」
これは世界の数学史に残る偉業を成し遂げた 岡 潔おか きよし (1901-1978) の言葉です。
エッセイ集『春宵十話しゅんしょうじゅうわ』 (光文社文庫, 2011)を読んだとき、心の底から共感しました。

トレードマークはゴム長靴(足を絞めつけないから)。不可解な言動から「奇人」「変人」「狂人」呼ばわりされていた、寝ても覚めても数学の人。
しかし、彼の言葉は極めて真っ当です。

やっていることが有益か否かを気にするのではなく、ただ学ぶ喜び、発見する喜びがあるゆえに数学をし、その喜びを食べて生きているというのです。
ただひたすら今を生きているスミレに自らを重ね合わせ、世間の評価など自分には関係ない、と言い切っています。

けれども、彼の偉業を世の中は放っておきませんでした。
彼は30代半ばから40代半ばで「多変数解析函数論」における世界的な「三大難問」をたった一人で解き明かしました。
一題解くだけでも偉業なので、日本には「岡潔」という研究組織がある、と海外で間違われたくらいです。
日本国内でも文化勲章や勲一等瑞宝章などを授与されました。

京都帝国大学出身の岡潔は、ここ京都府立植物園を歩き回って考えるのが好きでした。
撮影日3月18日

岡潔は数学者であると同時に、文学や宗教を含む日本文化ついても徹底した考察をおこないました。数々の大学で教鞭を執り、教育に関する熱い思いを珠玉の言葉で残しています。

晩年の彼が繰り返し訴えたのは、情緒の民である日本人らしく、「真・善・美」を追求せよ、という教えです。
「人の中心は情緒だ」と『春宵十話』の冒頭1行目で語っています。
驚くことに、彼は数学にも「美しいものを見て美しいと感じる心」すなわち情緒が必要だと考えていました。

「数学は芸術の一種である」— そう言いながら、彼は野に咲く花を愛でるように数学と向き合いました。美しい花を見て、芭蕉が俳句を詠んだように、インスピレーションで解を導くことも多かったようです。
 
「私は花が大好きであり、そのことは私の人生にそれだけ豊かさを添えている」という言葉からも、いかに純粋で情緒豊かな人であったかを窺い知ることができます。

早春は岡潔の一番好きな季節

自分軸で生きることの難しさは昔も今も同じです。他者の評価に一喜一憂せず、同調圧力に屈することなく、自分らしくあることは(生来その強さを持っていない限り)本当に難しいです。
ゴージャスな薔薇に憧れちゃったり、クローンのチューリップみたいに行儀よく並んでみたり… 

それでもスミレがスミレらしく、タンポポがタンポポらしくある一番の方法は、自分の感覚に正直に生きることだと思います。
「情緒の民」らしく自分の感性を中心に据えることだと思います。
「他人がどう思おうと、私のあずかり知らぬこと」— 大地に根っこを張れる魔法の言葉かもしれません。

 
🌼ドラマ『天才を育てた女房 ~世界が認めた数学者と妻の愛~』(2017)
 主人公は妻ですが、岡潔の人となりが分かります(Amazon Prime, Hulu
 などで公開中)。

🌼ちょうど今年(2024年)4月、和歌山県橋本市に岡潔体験館がオープンしました。
こちらのリーフレットにある略歴などが分かりやすいです。

https://www.city.hashimoto.lg.jp/material/files/group/64/rifurextuto.pdf

https://www.city.hashimoto.lg.jp/material/files/group/64/rifurextuto2.pdf


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