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「それ禿なる樹」 ~空海からのエール~
空海の遺した言葉は、時にはストンと腑に落ち、時にはゆっくり心に沁み、時には凛凛たる勇気を与えてくれます。
賀茂街道の すっかり葉を落とした楡や桜の並木が、空を背景にした切り絵のように見えた日、
この言葉が思い出されました。
それ禿なる樹 定んで禿なるに非ず
春に遇うときは すなわち栄え華さく
「そもそも冬枯れの樹は、いつまでも枯れているわけではない。
春になれば、生き生きとした青葉を繁らせ華やぐ」
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この言葉が載っているのは、空海の代表作の一つ『秘蔵宝鑰』。「鑰」は「鍵」のことで、
「秘蔵の宝箱を開ける鍵」という意味です。
悟りに至るまでの人の心を十段階に分けて論じています。
十段階のうちの第二段階が「愚童持斎心」。
「無知な子供でも、身を慎み 他者を思いやる心を持っている」と空海は言います。
ただし、それが開花するには「良い縁」が必要である、と説明しています。
外からの要因があってはじめて、本来備わっている仏性が芽生えるのだと。
太陽の光や雨によって、枯れ木は芽吹き、葉を繁らせ、花を咲かせ、実をつける — けれども、その「種」や「成長力」は枯れ木そのものが内に秘めている。
人間もそれと同じなのだ、と空海は説いています。
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私は特定の宗教者ではなく、むしろ「万教同根」だと考えています。
どの宗教も(利害関係に利用されない限り)、根っこの部分では同じ真実に収斂するのではないかと思っています。
真言密教は難解だとか、呪術的だとかいう見方もありますが、空海の思想の中心は三つです。
一 即身成仏(生きているだけで仏さま)
二 実践主義(行動することが大事)
三 平等主義(宇宙規模ではみんな一つ)
「あの世」ではなく「この世で」幸せになること(現世利益)へのアドバイスです。
「すがる」信仰に導く宗教ではなく、地に足のついた生き方を促す、人生哲学だと私はとらえています。
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空海の言葉は、私たち個々がどのように解釈しても良いと思います。
人生のベクトルは常に上を向いているわけではなく、
ときに停滞し、ときに退行し、ときにさまようものですよね。
だから「禿なる樹」は
逆境にある時の私たち。
自らに対する無価値観に襲われている時の私たち。
いったん何もかも捨てて、舵を切る時の私たち。
「芽」が出なくて不安な時の私たち。
そんな私たちに、空海は優しい眼差しを向け、呼びかけているようです。
「禿なる樹よ。枯れるのが定めではないぞ。
春の陽射しや雨に逢えば、自ずと芽吹き、華やぐのだから」
自分を信じて 機を待てば良い。
そういうエールに聞こえます。
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賀茂街道(北山大橋付近)に一本の巨大なエノキがあります。
象のような眼でこちらを見つめる、私が「大樹さん」と慕うこの木は、春夏秋冬いくつもの姿を見せてくれます。
すっかり葉を落とし「禿」となっていた頃のこと。
電線に触れるのを避けるためなのか、大きな枝が何カ所も切り落とされていました。
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しかし、心配をよそに、4月にはもう若葉をつけていたのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1738294859-QFAeljvSn4r761wT3oufM28b.jpg?width=1200)
そして6月にはこのとおり。
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![](https://assets.st-note.com/img/1738295038-f8c3mOBX4zk0RSpoIx97rYFn.jpg?width=1200)
天を衝くように繁った葉は、秋の訪れと共に黄葉し、黒い実をつけました。
![](https://assets.st-note.com/img/1738798822-Y4ASTltdjRxmoVpfHuvceKQF.jpg?width=1200)
そして再びすっかり禿となり、今も春を待っています。