そして 枯れる ②


窃盗、詐欺、無免許運転、無免許での危険運転致傷、薬物使用。私がやってきた犯罪や非行は、逮捕状を出されていないものも含めれば他にもある。
そのどれもが、危機迫った状況や強要された状況などではなく、たとえば 寝る時は部屋の電気を消したり 風呂に入る時は全裸になったりするのと同じで、ごく自然に、当たり前に、違和感も抱かず やったことだった。
私はいつも 警察に捕まってから(ああ、そういえば確かにダメなことだったな)と思った。他人事のようにそう思うだけで、自分を改めようとは思わなかった。私はずっとそうしてきたから、そうすること以外での 日々の過ごし方を知らなかった。あるいは知らないフリをしていた。人間はどうしたって怠慢な生き物だから、新しい生き方を模索して頑張るよりも 今までの生き方を少し変えて上手くやる方が楽だし好きに決まっている。
だから後者を選んだ。

審判から1週間後に、少年院へ移送された。大阪にある女子少年院だった。留置所でも鑑別所でも弁当を食べていたから、少年院で出される温かいご飯は美味しかった。雑穀米は苦くて、最初の頃は食べられなかった。
女子少年院は男子少年院と比べて人数が少ないため、1寮から5寮あるうちの3つしか使われていない。1寮は単独寮、2寮と3寮は不使用、4寮は18歳以下、5寮は18歳以上、というように分けられていて、私は5寮に入った。寮生は10人前後で、基本11ヶ月の刑期を3つに分け、3級生、2級生、1級生と上がっていく。3級生は2ヶ月、2級生は更に前期と後期の2期に分かれて3ヶ月ずつ、1級生も3ヶ月。寮によって作りが違うが、5寮では、レクリエーション室が大きく中央辺りにあり、そこで食事や授業を受ける。レクリエーション室の前に4人部屋が4つ程並び、自由時間や就寝時間は部屋に居る。係活動があったり上級生は先生から色々任されたりするし、授業ごとの課題や個別課題、担任の先生との面談などがあり、あまり退屈はしない。1寮には1寮の、4寮には4寮の、5寮には5寮の先生が居て、寮の先生の中から担任の先生がつけられる。私には、明るくて親近感のある若い女性の先生がつけられたが、2級生に上がる頃に異動になって、違う先生がつけられた。新しくつけられた先生は、熱血で明るくてハッキリとしている先生で、正直苦手なタイプだと思った。
少年院には少年院の細かいルールがある。私語厳禁だとか 食事は20分間だとか この掛け声にはこう返答するだとか。私は少年院で過ごした約1年間、問題を起こしたことは無い。自分に与えられた課題には求められているであろうレベルの答えを出してきたし、親との関係も良くなった。他の院生とコンタクトを取ったりもせず、違反は1つも犯さなかった。先生からはよく「賢いのに勿体ない」と言われた。それは直接言われることもあったし、他人を通じて言われることも多かった。たとえば作文を書いたり、何かを発表したりするとき、私はほとんどいつも、優秀であると認められて章を貰った。これまで生きてきたのと同じように、その約1年間を器用に過ごした。勿論、反省はしていた。罪悪感もあったし焦燥感もあった。だけど、それらを理由に利口にしていたというよりも、ただ器用に過ごすことが癖になっていた。だから違反をすることなく比較的優秀な院生として生活出来ていた。
少年院に入るような子達は、おそらく やんちゃで感情的な子達ばかりなのだろうと思っていたけれど、実際は大人しそうな子達が多かった。人当たりが良く、ヘコヘコと頭を下げたり愛想笑いをしたり、相手の機嫌を取るために頑張ってしまうような子。勿論 やんちゃで感情的な子も居たし、賢くて大人しい優等生のような子も居た。
院生同士で個人情報を話すことは出来ないから、私達が知っているのはお互いの苗字くらいで、どこから来たとか年齢とかは知らなかったし 何故少年院に入ることになったのかということも知らなかったのだけど、個人の課題別に授業を受けるため班に分かれてやるとき、薬物の授業を受けさせられる子がとても多かったことが 印象に残っている。
授業の班は他にも、たとえば20歳を迎える人を対象にした授業や売春をしてしまった人を対象にした授業などがあって、1~2ヶ月で授業を終わらせ、また違う班に分けるというサイクルになっていた。
薬物の授業を受ける班は私を含め4人の院生と担当の先生2人だった。
少しワクワクした。
私は、どうしても薬物が好きだから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?