真夜中のタクシー
6月にマルタにやってきて1か月。
予定を少し早めて、旅に戻ることにした。
わりと始めから、飽きていた。午前中は語学学校に行き、昼に寮であるホテルに戻って昼飯を作って食べ、昼寝して、散歩するか泳ぐかして、寝る。
昼寝の時点でもう体はだるく、小さなこの島国をくまなく見て回ろうという意気ごみは日に日に薄れていった。友達もあまりできなかった。国訛りの、お互いに不得手な英語でがんばって話すほどの気力は起きなかったのだ。生徒はバカンスを利用した高校生か、中高年が多かった。日本人も少なからずいたが、訛りの強いマルタでの英語習得は困難だったろう。英語を磨くには学校内の付き合いに限られる。日本人の私にはあまり近づかなかった。
旅に戻ろう。
バックパックでヨーロッパを周るつもりだった。イタリアを1週間で南下して、前から行ってみたかったマルタでしばらく滞在した。あと残っていたのは2,3日だったと思うがよほど出たかったのか。私は通っていた語学学校に出国することを伝えた。寮を切り上げる日など相談。
事務の人が出国の日にタクシーを手配してくれるという。エージェントも介してない生徒になんと親切な。詳しいやりとりは覚えてないが、指定されたタクシーの時間は真夜中だった。出港の4時間前。空港に行く人との兼ね合いか、他の寮も寄るのか。
聞くのが面倒だった。そして都合よく解釈した。これが失敗のもと。
果たしてそのタクシーは真夜中にやってきた。そして利用者は私のみ。
おそらく飛行機の時間で合わせてくれたんだろう。私は船で出国する。
その個人タクシーのおじさんも、「早くない?」という。「え、私だけですか」と私。困惑の空気。嫌な予感。
港に連れてってもらうがフェリーの待合室はもちろん開いていない。
じゃ、と置いていかれてもおかしくないが、親切なおじさんはウチで待つか?と言ってくれた。ありがたく甘える。
まだ暗いマルタ。こんな時間のマルタは初めて見たな、と観光気分で思う。タクシーは住宅街を、路地をどんどん行く。少し不安になる。どこまで行くんだろう。料金はどうなるんだろう。おじさんに迷惑かけてる。途中で小さな店に寄った。おじさんは顔なじみの店主からパンをいくつか買うとまた車に戻ってきた。
そこからほどなくして大きなガレージのある家に着いた。おじさんの家に着いたようだ。隣の事務所と思われる建物に案内され、中にはいると、小さな子がテーブルでノートに何か書いていた。こんな夜中、もう明け方といっていいくらいの時間になぜ子供が。謎だったがおじさんに対する申し訳なさで萎縮していたので、なにも話せなかった。パンふたつとコーヒーまでいただいてしまった。明け方に食欲もなく残してしまったし、逃げ出したい気分。しかしもちろん自分が今どこにいるのかは全く分からない。
おじさんは自宅の方に行ったり、戻ってきたり。ずっとおなじ姿勢で何かをノートに書きつけている男の子。全く内容の分からないテレビをぼーっと見て、ひたすら時間がたつのを待った。眠かった。
1時間ほどたった後、また港まで乗せていってくれた。もうすぐ開くはずだよと、降ろされる。学校の人はちゃんとしてないな、ひどい目にあったねと、同情してくれた。きっと人見知りの人なんだろう、あまり話しかけられたりはなかったが、あの人なりにとても気遣ってくれたことは伝わってきた。名刺をとってあるので、いつかまたマルタに行ったとき…なんて思っているが、もちろんそんな機会は簡単にはないだろう。
港が開くまでまだ少し時間があった。学校でもらったテキストやプリントをごみ箱に捨てる。今からバックパッカーに戻るので荷物は減らさないと。
15年たった今も、タクシーから見た真夜中のマルタと一時過ごした事務所を、夢の中の出来事のように覚えている。