アンナ
マルタの語学学校に入学してすぐ、ウエルカムパーティがあった。レストランでマルチーズ料理を食べ(想像通りおいしくなかった、マルタ料理がまずいのではなく団体で行くレストランという点に於いて)、移動してダンスフロアがあるようなバーへ。ウエルカムドリンクをもらい、〇〇スクールのみんな、ようこそマルタへ!のアナウンスを聞く。
恥ずかしい。これはよくある光景なのか。ここにいるのは学校関係者だけではないはずだ。
踊る人たちをながめる。当時パラパラが流行っていて、みんな同じように振りを合わせていた。
アジア人が話しかけてきた。中国人だった。新入生?私も同じ学校だよ、と笑顔を向けてくる。アンナって呼んでね。
ここにはよく来ている、とてもハッピーと言って楽しそうだった。後ろに連れと思われる中国人の女の子が二人、ひそひそと話していた。アンナとは対照的におとなしそうで、アンナについてきただけのようだ。ちょっと変わっている子だけど、入学したばかりの私には話しかけてくれる存在はありがたかった。
アンナはその後も何度かランチに遠出にさそってくれた。私だけでなくみんなに笑顔でフレンドリーなアンナ。何人かでアンナについてマーケットやビーチに行った。行く先々に中国人が働いていて、アンナは声をかけていた。
そのうち私はアンナの誘いを断るようになった。また今度。アンナは慣れているのか特に気を悪くするそぶりも見せず、オッケー、また今度。と言う。
なぜ距離を置くようになったのか。心のすみに、中国人に対する差別感情のようなものがあったのは否定できない。と同時に、中国人のコミュニティの中に自分も溶けこみそうな恐れ、があった。その閉塞された(ように見える)輪の中に入りたくなかった。きっと居心地はいいだろう。言葉は違うけどアジア人同士、きっとすぐになじめるだろう。どっぷり浸かって入りびたってしまいそうな空気がアンナの周りにただよっていて、私はそれを避けるのに注意しなくてはならなかった。
一度だけ、アンナの家に遊びに行った。ワンフロアのアパートに4、5人の中国人とシェアして住んでいた。広いリビングの奥にベッドが4つ並んだ部屋。2、3人男の子がパソコンを囲んで何やら話していて、私に気付くと笑顔でハロー、と言ってくれた。奥にもいくつか部屋があり、みんなドアが開いていた。
アンナはにゅう麺を作ってくれたが、その料理はなぜかものすごく時間がかかった。さまざまな調味料が時間差で入る。何人か女の子がやってきてはアンナと話し、出て行く。女の子たちは私にあいさつをする時だけぱっと笑顔を見せてくれた。
ロビーのようなリビングでにゅう麺を食べた。
深圳の生まれらしい。そこなら知ってる、ホンコンの近くでしょう?
イエース、ニア、ホンコン。ユー、カム?
「は?」
ユー、カム、シェンジェン。
来いと言ってるらしい。そうだね、いつか行きたいな。
ネクストイヤー?
じっと私を見る。単語をひとつひとつはっきりと切って発音する。
アンナはいつも英語の本を見ながら勉強熱心だったが、文法はでたらめで、後にもらったメールも理解するのに苦労した。
ユー、ライト、レター。
うん、手紙書くよ。
アンナとちゃんと話をしたと感じたのはこの日だけだった。そしてアンナに会ったのはこの日が最後だった。私はこの後、予定を変更して早めに学校を辞めたから。
アンナに本当に深圳で会う気があったのかどうかは分からない。というのもアンナはまだこの後何年かマルタで過ごすはずで、ネクストイヤーに私が深圳に行ってもアンナはそこにいないはずだ。あの時本気で言っていたように感じたのは私の思い違いだったのだろうか。
メールは一回やりとりしただけで終わり、あのアパートに手紙を出したが返事は来なかった。