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歌詞に関するお話

アルバム「Dialogue 1991」に関する話もいくつか書いてはメモしているのですが、次々と更新せずに下書きばかりが溜まるばかりで、なかなか更新できません。
たまたまTwitterのTLを見ていたら、歌詞について、少し考えた部分があったので、それを書いていきたいな…。と思います。

実はそんなに思い入れがない?

僕自身は既成の曲を聴くときには、そんなに歌詞の「中身」のことを気にして歌ものの曲を聴いたりしていません。ただ自分でも歌いたかったり、曲を覚えてカラオケで歌ってみたいと思ったときとかに、歌詞カードを見るくらいで、そんなに意味とかメッセージとかを考えたりして聞いたことが、ほとんどありません。

だけど、僕の中にも「いい歌詞」という基準は、ちゃんとどこかにあるみたいで、それは間違いなく「メロディに違和感なく、自然に乗っている語感の良さ」みたいなものが心地よいかどうか?というものを重視するみたいです。
たまにフレーズを聴いたり、あるいは歌詞カードを見て、いいキャッチコピーを見つけたような感じで、「いいフレーズ」を見つけることはあったりするのですが、それイコール「いい歌詞」なのかは別なのかもしれません。

やはり「いい」の感覚自体は個人個人でいろいろ違うと思うので、あくまでも僕の基準で書いておくと、

・覚えやすい
・歌いやすい
・メロディに違和感なく乗っている

というのが必要十分条件、それプラス「印象に残るフレーズがある」ということなのかな、と個人的には思っています。

たとえ、それが洋楽のように言葉の意味や読み方とか、聞き取りができなくても、「音声が素直に入って」きて、後で歌詞を見たときに、「あ、これ、こういう風に言ってたんだ」と思うくらいで十分なのかな…と思います。

たとえば、幼少の頃に聴いた昭和歌謡なんかもいい例で、内容が全く共感するには絵空事過ぎて、意味とかわからないのだけど、歌詞の「音」だけは体に入っているので、意味や語句がわからなくても「歌える」ことが、「歌詞」の理想の形だと信じて、今も歌詞を書いているつもりです。

かなり昔の話ですが、演歌歌手の渥美二郎が自分のミリオンセラーのヒット曲「夢追い酒」について、TVで話していたことがすごく記憶に残っていて、
「『夢追い酒』がヒットしていた時、3歳くらいの子供が三輪車に乗りながら、♪あ~な~た、な~ぜな~ぜ、私をす~て~た~って歌ってるんですよ。」
という話の内容だったんですが、もちろん3歳の子供が「捨てられる女」の歌詞の内容に共感できる訳がなく、ただ音の響きだけを体に吸収して、自然と口ずさんでいるのでしょうが、「歌」や「歌詞」ってそういうものでいいと思うのです。

つまり、僕にとって、歌詞はその内容とか意味よりも、「音」や「響き」が大切な要素だ、ということです。

最近見た新聞の投書で、13歳の「今の音楽の方が聴きやすい」という内容の投書をしていたのを興味深く読んだのですが、その理由として、

1.イントロが短いこと
2.歌詞が韻を踏んでいること

の2つを挙げていました。
まあ、13歳の感覚ですから、昔の曲よりも、今の曲の方を良く感じるのは別に不思議でも何でもないし、別に普通のことです。
1のイントロのことについては、最近、久しぶりに曲の長さが3分を切る曲を書いたので、そのことを題材にして話したいと思うので割愛しますが、2の「韻を踏む」ことについては、少し事項で。

曲先か、詞先か?

韻というのは、ラップが市民的な音楽として浸透する辺りから、歌詞やライムの重要な要素として欠かせないものにはなってきましたが、次に挙げる自分の曲の歌詞で、自分の歌詞の書き方について拘る点を説明したいと思います。

秘密のロマンス

見つめ合うのが
まだ照れくさくて
キミとはいつも
秘密のロマンス

一人の時間
それなりの犠牲は覚悟して
会うためならば
一刻の猶予も許さない

もうちょっとだけ
キミとの距離が近いなら
そう思っても
ムダな問題点になる

声に出せずに
手を握りしめた
その場をキメる
気分のバランス

二人を阻む
お互いの暮らしがバラバラで
次のデートに
誘うタイミングがわからない

もうちょっとだけ
キミと休みが合うのなら
そう思うのが
恋のマイナス点になる

声を出せずに
息を飲み込んだ
ほのかに香る
そのフレグランス

見つめ合ったら
ふと腕を伸ばす
キミとはいつも
秘密のロマンス

信じたいけど
信じたいから
ボクから見えない
キミのこと 知りたい

見つめ合ったら
ふと腕を伸ばす
キミとはいつも
秘密のロマンス

見つめ合えたら
次もあるよねと
笑顔に祈る
秘密のロマンス

キミとのロマンス

僕はまず、曲が浮かんだときに歌詞の一部が一緒に降りてくるので、その浮かんできたワンフレーズから全体を膨らませます。その浮かんだフレーズだけは何があっても絶対に変更しないことで、それを基準に近い響きの言葉、かつ字数の一致する言葉を探して、曲のストーリーに合致するように言葉を選んで、全体を書き上げてから、実際に歌いながら、メロディと歌詞の調整をしていきます。曲先か?詞先か?と言われると、自分の場合は「同時進行」というのが僕の場合は多いです。

上記の「秘密のロマンス」で、響きの近い言葉で意識したのは、やはり「ロマンス」に近い言葉を選んだことで、この場合は「バランス」や「フレグランス」と言った言葉が該当するのですが、「韻」と言うには少し違う部分もあるのですが、やはりライブなどで歌うと、響きが近いからか、そこの部分を一番トチります。

あと、なるべくメロディ作りや詞の書き方で気をつけるのが、言葉のアクセントと音節の区切りを音の高低を自然に聞かせるか、ということです。

僕は高校時代に演劇部で役者をやっていたことがあって、アクセント辞典とかを結構使ったこともあったのですが、その経験は歌詞やメロディを作るときに、かなり生きています。

自分の曲の中では1コーラス目と2コーラス目で、メロディが変わることが結構あるのですが、それは1コーラス目と2コーラス目で違いをつけることで曲をマンネリ化させない意図もありつつ、別に歌詞の言葉のアクセントに合わせてメロディを変化させている、という意図もあります。

90年代以降から、日本語の日常会話のアクセントがかなり変化してきてから、その辺りの影響も楽曲のメロディを複雑化させている要因の1つとなっていますが、(例えば「彼氏」のアクセントが「カ→レシ↓」から、「カ→レシ↑」と平坦化したのが真っ先に浮かびます。)、アクセントの高低で意味を特定できる場合もあるので(たとえば「橋、端」と「箸」とか)、メロディと歌詞が違和感なく自然に聴こえる要素として、アクセントは大事なのかな…と個人的には思っています。まあ、時々、「やっちまったな…」という間違いがあるときもありますが…。

しかし、そんなことを書いていますが、歌詞を見たときに、正直あまりそういう要素に「ここで韻を踏んでる」とか「言葉遊び」をしているとか、気づいて欲しくはありません。気づいたとしても「流して」欲しいです。

俳句や短歌のように要素として「あって当たり前」なので、そういう物を「わざとらしく」ではなく、「さりげなく」やるのが美学なのではないかな、と個人的には思ったりします。

歌詞に込める感情と共感の要素

歌を聴く人が歌詞に対して、おそらく一番大事にしているのが、その歌詞から読み取る「感情」や「情景」、あるいはその歌の世界を自分のものとする「共感」の要素だと思います。

僕も歌を聴いて泣いたこととか、心が震えたこともあるのですが、実際、それが歌詞の内容というより、コード展開とか、メロディ、あるいは歌い手の抑揚、それが自分の琴線にピッタリ合致したときに起こるものなので、ここでも歌詞の言葉には、後で歌詞カードを読んだときに、改めて感心することはあっても、直接、響いてくるのはまず第一に「音」なので、歌詞の内容で泣いたり、励まされたりした記憶が自分の中では皆無と言っていいです。

そんな僕なので、むしろ幼少の歌謡曲体験の「自分とはまったく絵空事の世界」であることを大事にしている部分があるかもしれません。それがたとえ自分自身の経験を元にした歌詞であったとしても。

そこで、僕が歌詞を書くにあたって、自分自身の性格を重なっている要素として、決めている箇条があって、それを記します。

・「季節」を特定する文言を入れない
これは僕自身が、基本引きこもり体質でインドア人間なので、「暑い夏」も「寒い冬」も苦手で、できることなら、あまり気温の変化とかに適応せずに「丁度いい」環境でぬるく生きていきたい感覚から、自分自身で拘っている部分です。これは自分が歌わない曲でもポリシーとして貫いています。

・「説教臭い」メッセージを込めたり、人をむやみに「応援」しない
これは、ただ単に僕自身が、そういう文言が嫌いなので敢えてそういう歌詞を書きたくないだけで、それを書いたら、僕の歌詞は「嘘クサく」なるのかな、と思っています。

・「ありがとう」と言わない
普段の自分自身に感謝の気持ちのカケラもないようなコダワリかもしれませんが、「ありがとう」をいう歌詞があまりに多すぎて、それにただ反発したいだけです。どうせ感謝を伝えるなら「ありがとう」を使わずに感謝を表現したいというのが、思うところです。これも僕が「ありがとう」と直接歌詞に書いたら、すごく「嘘クサい」なと思います。

そんな箇条を書くと、いかに自分自身が「ひねくれ者」なのか、と今更ながら思う訳ですが、歌で「生活していない」からこそ、敢えて、そこは自分自身の「歌詞」のアイデンティティとして譲れない部分かもしれません。

興味がそれほどなければ、「音楽」=「歌」???

僕が職場の人としていた話の中で、少しだけ音楽のことについて話したことがあったのですが、それで面白いことに気づきました。
何について話していたかは忘れましたが、僕が
「車の中で爆音で音楽鳴らして聴いたりしたりしませんか?」
と言った言葉に対して、返ってきた応えが面白かったのです。

「いや、俺、【歌】とかほとんど聞かないんですよ」

巷の流行音楽でボーカルが入っている「歌」が占めるウエイトって、かなり大きいと思うし、僕自身も、それほど歌詞の内容自体に興味がないとは言え、ボーカルが入っているものが好きで、「歌もの」を聴く比重が多い訳ですが、車の中で爆音で鳴らしているのは「音楽」な訳で、「歌」だけではないのかな…と思ったりします。
普段、あまり「音楽」に執着しないからこそ、そこで「歌」という言葉が出てきたと思うし、そこを面白く感じたのですが、そこで先述した「イントロ」の長さについての話に繋げていきたいと思います。

それが次回の更新になるかどうか、はわかりませんが…。



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