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【文系不要論】文系は不要なのか?天才物理学者アインシュタインはこう考える

「文系は役に立たない」「文系は個人の感想なのだからわざわざ学校で学ぶことではない」などといった声を聞くことがある.
文系の学問の存在意義はどこにあるのだろうか?

科学技術は本当に人類の役に立つのか?

アインシュタインと原爆投下

ユダヤ系ドイツ人であったアインシュタインは1933年にナチスによるホロコーストから逃れるためにアメリカに亡命する.
ナチス・ドイツが先に核兵器を保有することを恐れたユダヤ人物理学者レオ・シラードらは1939年にアインシュタインの署名を借りて次の内容の手紙を当時のルーズベルト大統領に送った.

原稿として私のところへ送られてきました E・フェルミと L・シラードによる最近の研究は、ウラン元素が近い将来、新しい重要なエネルギー源となるかもしれないという期待を私に抱かせます。 このことによりもたらされる状況のある点は、注意深く見守り、必要とあらば、政府当局による迅速な行動を起こす必要があるものと思われます。 よって、以下の事実と提案とに閣下のご注意を促すのが私の務めであると考えるものです。
過去4か月の間に、フランスのジョリオ、またアメリカのフェルミとシラードの研究によって、大量のウランによる核連鎖反応が有望なものとなってきました。 このことによって、極めて強い力と、ラジウムに似た大量の新元素とが生成されるでしょう。 これが近い将来に成し遂げられるのは、現在、ほとんど確実なことであると思われます。
またこの新たな現象は爆弾、それも、あまり確かとは言えないのですが、考えられることとしては極めて強力な新型の爆弾の製造につながるかもしれません。 船で運ばれ港で爆発すれば、この種の爆弾ひとつで、港全体ならびにその周囲の領域を優に破壊するでしょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アインシュタイン=シラードの手紙  (一部省略)

フェルミ,シラード,およびジョリオの研究とは,ウランの中性子による核分裂の発見であり,この発見でウランの連鎖反応の実現が現実のものへと近づいていた.
この手紙がアメリカ政府の原子爆弾開発計画であるマンハッタン計画の引き金となった.
マンハッタン計画は成功し,アメリカは1945年7月16日に世界で初めて原爆実験を実施し,広島に同年8月6日・長崎に8月9日に投下,合計数十万人が犠牲になり,戦後の冷戦構造を生み出すきっかけともなった.

戦いには勝利したが,平和まで勝ち取ったわけではない

アインシュタインは晩年,原子爆弾開発を後押しするような手紙に署名したことへの後悔の念を吐露した.

日本人で初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹と面会した際,「原爆で何の罪もない日本人を傷つけてしまった。こんな私を許してください」と原子爆弾開発を後押しした行為を悔やみ涙ながらに謝罪したといわれる.

そして,1955年にイギリスに哲学者・バートランド・ラッセルとともに核兵器の廃絶や戦争の根絶,科学技術の平和利用などを訴える内容のラッセル=アインシュタイン宣言に署名する.

私たちは、将来起こり得るいかなる世界戦争においても核兵器は必ず使用されるであろうという事実、そして、そのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実に鑑み、世界の諸政府に対し、世界戦争によっては自分たちの目的を遂げることはできないと認識し、それを公に認めることを強く要請する。また、それゆえに私たちは、世界の諸政府に対し、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のために平和的な手段を見いだすことを強く要請する。

https://www.pugwashjapan.jp/russell-einstein-manifesto-jpn  (一部省略)

文系の学問の存在意義はどこにあるのか?

宗教なき科学は不具であり,科学なき宗教は盲目である

アインシュタインの著書『晩年に想う』には文系の学問の存在意義について彼の考えが記されている.

これこれであるという知識は、これこれであるべきだ、ということへ直接通じる扉を開いてはくれないのです。こうこうであるということの知識を、いくら明瞭に完全にもつことができても、人間の願望の目標であるべきかを、それから演繹することはできないのです。客観的な知識は、ある種の目的を達成するための、強力な道具を提供してはくれますが、究極的な目標そのもの、およびそれに到達しようとする憧れは、他の源泉から生まれねばなりません。また論ずるまでもないことなのですが、 我々の生存や活動は、そのような目的に相応する諸価値を設定して初めて意味を持つことができるのです。真理そのものの知識は、すばらしいものではありますが、それは案内人の働きをほとんどすることができないので、 真理の知識そのものへ向かう熱意の正当さ、およびその価値をさえ証明することができません。したがってここで我々は、我々の存在に関する純粋に合理的な概念の限界に逢着するのです。

『晩年に想う』より

アインシュタインは客観的な知識を生み出す理系の学問は強力な道具になるが,その道具をどう使うかという「人間の願望の目標」に関しては理系の学問からは生まれず,理系の学問には限界があるということを論じ,「人間の願望の目標」は何であるかを追求する営みを文系の学問の存在意義と捉えた.また,理系の学問は文系の学問があって初めて意味を持つことができると論じた.

科学技術が我々の生活を物質的に豊かにしてきた反面,軍事転用され多くの人々の命を奪ったのも事実である.科学技術という諸刃の剣を使うためには,歴史を振り返ったり,法で規制したりするなど,文系の学問が必要になる.理系の学問が人類にとって有益であるためにはその目的を再確認するという営みが必要であり,その役割を果たすのが文系の学問なのである.

参考文献

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%B3%E8%A8%88%E7%94%BB

https://www.pugwashjapan.jp/russell-einstein-manifesto-jpn

https://icu-hsuzuki.github.io/science/class/sis/doc/einstein.pdf

https://www.youtube.com/watch?v=Rg9EZk6xwUA&ab_channel=%E3%81%B4%E3%82%88%E3%81%B4%E3%83%BC%E3%82%88%E9%80%9F%E5%A0%B1

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