アナクロ書評 加藤典洋『オレの東大物語』(2020年)(上)


アナクロといっても、今回はたかだか三年前刊行の書物である。
これは加藤典洋が「オレ」という一人称を使った、フィクション性を纏ったような、自伝である。主に青年時代を振り返っている。山形の早熟の才気ある青年の教養形成小説のようになっている。学ぶべきところは多いだろう。
個人的なことを先に書かせてもらおう。
私は「村上春樹と早大闘争」という拙稿を2020年初春に書いている。それはとある某同人誌に掲載されるはずであったが、新型コロナウイルスという疫病が広がり始めて、編集作業が大幅に遅延することになったと聞いた(2023年1月現在も進展なし)。その拙稿の大まかなストーリーはさきに刊行された『対論1968』(2022年)のp.167-172の絓秀実発言を参照してもらえればよい。
さてその拙稿の注解で加藤典洋編著の『村上春樹イエローページpart2』(2004年)第五章の『海辺のカフカ』論に私は触れている。このシリーズの文章はみな加藤典洋はじめその明治学院大ゼミ生たちの共同研究による合作なのだろうか、『海辺のカフカ』のあらすじを詳細に紹介し、労力をかけてその謎解きに取り組んでいるわけなのだが、あらすじの基盤となっているところの、「佐伯さん」の恋人のエピソード―学生運動でリンチで殺された―についてはものの見事に触れようとしない。「佐伯さんの恋人」は川口大三郎をモデルにしているということは一部では著名である。膨大な量の文章と解析をかけて、なぜ、加藤らは目に見える眼前の物事を見事に無視するのか。これは意識的な(あるいは無意識的な)ネグレクトと回避ではないのか?、ということが、私の自然な疑問として湧きあがってしまう。そうしたことを注解に書いていた。
なぜ加藤はそれを避けたのか?
やはり、川口大三郎殺害事件を起こした党派(革共同革マル派)と彼は関係していたことと関連するのか。
(第二次)早大闘争においては、村上春樹はノンポリであったにせよ、反戦連合に近いところに人脈的には居ること、それは革マル派の早稲田での恐怖統治に抗うという文脈の、村上の共有を加藤典洋は切り離したかったのか?
そういう疑問が、この『オレの東大物語』に対する強い関心としてあったということをとりあえず記す。
(川口大三郎殺害事件について触れていないだけで、この加藤を代表とする作者の『海辺のカフカ』論考を裁断して良いのか?という問題はあるので、別の機会に触れてみたいが…)。

※加藤はweb上で読める次のインタヴューで、この自伝・回想の略解的なことを喋っている。参照したい人はどうぞ。   https://www.bookscan.co.jp/interviewarticle/256/3#article_bottom


その1 東大文学部自治会と革マル派


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