ドイツ系アメリカ人(ドイツとアメリカ0) 金原甫

 ある人の直接の教示でこれが気になり始めた。
 ネットで簡単に調べただけで、ドイツ系アメリカ人は、マイナーどころか、メジャーもメジャーであることに気づく。これはあくまでも私には意外であった。メディアの主人公として、ドイツ系アメリカ人が照明を当てられたものは、すぐには私などは思い浮かばないのだけれども。メジャーだからこそ、あまり改めて焦点にならないのか? 私にとっては謎のひとつだ。
 
 或るドイツ系アメリカ人は私にも思い浮かぶ。R.ニーバー(Niebuhr)である(1892-1971)。現代アメリカを代表するキリスト教神学者であるが、ドイツ移民2世であり、家庭語はドイツ語だったようだ。彼が通った大学の、(正確には前身の?)イリノイ州エルムハースト(Elmhurst University)は、ある時期までドイツ語で授業がされていたという。「この大学はシカゴの附近にあつて、もとエヴァンジェリカル・シノッド派の経営にかかるものであつた。このドイツ系の教派は今ではリフォームド派と合同して、エヴァンジェリカル・リフォームドとなつている。現在プリンストン神学校の教授をしているポール・レーマン博士も同じ大学の卒業者であり、彼もまたドイツ語を自由に話すことが出来る。ニーバーを理解するのに、このようなドイツ的背景を無視してかかることは出来ない。」(『バルトとニーバーの論争』=アテネ文庫・1951年、の訳者、有賀鉄太郎の解説)。
 ニーバーは自動車工業のメッカだったデトロイトで長く布教活動をしている(1915-1928)。これについてはネットで読める、森孝一「デトロイト時代のラインホールド・ニーバー:1915-1928」(同志社大学「基督教研究」1982.7)に詳しい。https://doshisha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=11266&item_no=1&attribute_id=28&file_no=1
 デトロイトのドイツ系アメリカ人の教会の牧師であった彼だが、当然、デトロイトの自動車工業に従事する労働者・技術者がそこに通う教会の教会員だったのだろうが、これはそこの他の民族と比してどれほどの割合だったのだろう。主力だったのかどうか。さきの森孝一氏の論考ではニーバーはドイツ系アメリカ人の大半は農業関係者であり、ドイツの大学が近代化する前に渡米していたと認識しているようだが、しかし近代的賃労働者(ないしはプロレタリアート)はどこの社会でも、初期は少数派だ。

 ところで、プロテスタントと一口でいっても、中身はかなり多種多様であり、いろんな流派があり、それらがアメリカに流れている。ここを踏まえたいところがある。(講談社現代新書の橋爪大三郎+大澤真幸コンビのシリーズはホラが多いだろうで、あまり食指が伸びるものではないが、『アメリカ』=2018年、だけは、アメリカに流れたプロテスタント諸派について解説の試みをしていて、初学者にとっては参考になる。その諸派の差異と類似のなか、プラグマティックに「看板を変える」行為について、橋爪大澤は指摘しており、この指摘は重要なものだ)。

 第一回目はこのあたりにしておこう。

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