編集者になる その7
新卒で入社した会社は、広告の制作会社だった。
100人以上のデザイナー、コピーライター、プランナー等の
クリエイターがたくさん所属していて、
広告グラフィックやWEBサイトやムービーなんかを制作していた。
ちなみに制作会社の規模としてはアジア最大らしい。(ほんとか?笑)
就職活動のとき、
僕は「いちばん好きなことを仕事にしない」と決めていた。
理由は2つあって、
まず1つ目は、好きな会社や、好きな作品を出している会社を受けて、
落ちて、会社や作品を嫌いになることが怖かった。
白泉社の募集にはとても惹かれたんだけど、
『3月のライオン』を嫌いになるっていうリスクを天秤にかけて、
結局応募しない。みたいなことだ。
だから、「好き」の気持ちが強い場所にはいかないようにしよう。
なんてことを思っていた。
もうひとつは、
「仕事を趣味は別」ということだった。
好きなこと、例えば小説や音楽や映画、書くこと。
それらは趣味としてたのしんで、
あくまで仕事は仕事。仕事として取り組める仕事を選ぼうと思った。
その結果がなんで広告なのかは…、
なんだろう、やっぱり「作る」ということに興味があったんだと思う。
自分で作ることはできなくても、「作る人」と一緒に働きたいと思った。
そして僕は、アジア最大の広告制作会社に、
プロデューサーとして入社した。
最初の3年ぐらいは、とにかく必死だった。
朝から夜中まで働いて、夜中から会社の仲間と飲んで、
土日は会社の仲間と交流して、また月曜の朝から働いた。
一度も早く帰りたいと思うことはなかったし、
とにかく、たくさん仕事がしたいと思った。
おかげで、もちろん新人時代の会社での評判と成績は上々だった。
4年か5年が過ぎた頃、実感として、こんなことを思い始めた。
「生きることは、仕事をすることだな」
社畜的精神じゃなく、自分が社会の中で、自分の役割を見つけて、
自分の力を発揮する。そのために時間と労力を割く。
そうやって生きていくことは、
とてもいい人生なんじゃないかと思い始めた。
そう考えると、
仕事はいちばん好きなことをするべきなんじゃないかと思い当たった。
プロデューサーの仕事は楽しい。会社の人は好きだ。
でも、いちばん好きなことはなんだったんだっけ?
そんな想いが、ぽつぽつと生まれてきた。
もうひとつ。これは決定的だったと思う。
デザイナー、コピーライター、プランナー。
彼らのことが羨ましくなってしまった。
1mm単位でレイアウトを悩み、コピーの百本ノックをし、
一日中頭を抱えて何かを作り上げようとするその姿を見て、
僕も「そっち側」に行きたいと思った。
そして、僕が「そっち側」に行くための唯一の武器は、
どう考えても書くことしかなかった。
ああ、そういえば、書くこと好きだったじゃん。
いちばん好きだったんじゃない?
そんなことを毎日考えるようなった。
「書く人になりたい」と思うのは、
もう必然だったよなと思う。
遅かれ早かれ、その時は来てただろうなと思う。
そうして僕は、書く人になるために、
宣伝会議の編集ライター講座に通い、
そして2017年の秋、「ほぼ日の塾」に通い始めることになる。
次回!「ほぼ日の塾で出会ったふたりの女性編」です!
(恋愛要素はないよ)