編集者になる その6
rockin' onでレビューを書く経験を積むにつれて、
「音楽ライター」としてのキャリアを考えるようになった。
大学5年〜大学院1年ぐらいのことだったと思う。
rockin' on以外の音楽ライティングの世界も知りたいと考えた僕は、
岡村詩野さんの音楽ライター講座に通うことにした。
岡村詩野さんの教えは、とてもシンプルだったと思う。
音楽を聴き、音楽を知り、それをまっすぐに、過不足なく言葉にすること。
自分自身を登場させる、エッセイ的なロッキングオンのアプローチとは、
ある意味では真逆だった。
音楽を聴き、音楽を知り、まっすぐ言葉にする。
そうするために、間違いなく必要なもののひとつが、
「知識」だった。
岡村詩野さんはもちろん(比にならないなんてもんじゃない)、
講座生のみんなが、僕よりたくさんの音楽を知っていた。
その知識の底にあるのは、圧倒的な熱量と愛でしかなかった。
彼らはみんな音楽に生かされてきて、
これからも音楽と生きていこうとしていた。
「ああ…僕は、この人たちほど音楽が好きではないんだ」と気づいた。
その自覚は冷静に、残酷に、僕の頭を貫いた。
僕は、音楽を書ける人ではない。
そんなことを考えていた2011年3月、
東日本大震災が起きた。
あの時、誰もが混乱していて、もちろん僕も、
これまで持っていた「当たり前」のたくさんが崩れていった。
あの時、僕は「アーティスト」に絶望した。
多くのミュージシャンや表現者が、
「被災地のため」「亡くなった方のため」「大変な人のため」に、
作品やメッセージを発信していた。
それは、純粋な善意や責任感だったのかもしれないけど、
当時の僕には、自己陶酔や思い上がりに思えた。
僕はそれまで、音楽や小説に救われてきたけど、
それは僕が勝手に解釈して、勝手に救われてきたのだ。
「救ってあげる」なんて笑顔で(あるいは神妙な顔で)
手を差し伸べてくる人の作品なんて、聴きたくも読みたくもないと思った。
それからしばらく、音楽を聴かなくなった。
なんとなくなりたいと、あさはかに思っていた音楽ライターを諦め、
大好きだった音楽から遠くなった気がして、
さて、これから僕はどうすればいいんだろう?
そんな想いを抱えて、僕は大学院に進学し、
そのまま就活に突入することになった。
いま思えば、もっと考えるべきだったなあ、と思う。
本当に好きなのはなんだったのか?
どうしてロッキングオンだったのか?
どうして演劇映像専修だったのか?
ヒントのかけらはたくさんあったのだ。
いま、編集者になって、こうして過去を振り返っていると
人生で見落としてきたヒントのかけらを
拾い集めているような気分になることがある。
東日本大震災前後の混乱や見落としも、きっと自分に意味があったのだと、
今なら、そう思えなくもないんだけども。