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閲微草堂筆記(380)骰子の呪い

巻十二 骰子の呪い
 『酉陽雑俎』には、骰子(サイコロ)の呪い(まじない)について載せている。

「伊帝彌帝,彌揭羅帝(yī dì mí dì   mí jiē luo dì  イディミィディ ミィジイェルゥオディ)」と念ずること十万回に至ると、骰子の六面をすべて思い通りに転がすことができるようになるという。

 ある人がこれを試したが、ある時には効き目があり、ある時には効き目がなかった。

 私が思うに、これは「驢」の字を誦えれば病が治るといった類のものだ。
 おおよそ、人が精神を集中させると、機がこれに共鳴する。そして機が共鳴すれば、すなわち天に通じるのだ。

 いわゆる、「至誠は則ち金石は為に開く(※)」ということである。

 ひたすら熱心に信じるというのは、誠実であるということだ。そして誠実であれば必ず天の采配に動きがある。ゆえにこの呪い(まじない)を試す程度の心持ちであると誠実とは言えず、天の采配にも動きはない。

 おおよそ、修煉の術というのはすべてこのようであり、この呪い(まじない)だけに限ったことではないのだ。

※『莊子』「漁父」より引用された言葉。誠心誠意、一心に努めれば、金属や石であろうと割れるという意味。

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