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閲微草堂筆記(456)僧侶の幽鬼
巻三 僧侶の幽鬼
何励庵先生がまた言うことには、友人に聶氏というものがおり、西山の奥深くまで墓参りに行って帰るところだった。
季節は冬で日は短く、辺りは薄暗くなってすでに日は暮れていた。聶氏は虎に遭遇することを恐れ、懸命に足を動かし進んだ。ふと遠くを眺めれば、山腹に廃廟があり、彼は急いでそこへと駆け込んだ。
その時にはすでに辺りは漆黒の闇に包まれていた。
すると、塀の隅から声が聞こえてきた。
「ここは人の領域ではありません。檀越(僧侶から檀家への呼びかけ方)はすみやかにここを離れるがよろしかろう。」
聶氏は心中、これは僧侶であると思い、問うた。
「和尚様は何故、このように暗い場所にお座りなのでしょう?」
「仏家は妄語を語りませぬ。実を申しますと、私は首吊り霊なのでございます。ここで身替りを待っておりました。」
聶氏は髪の先から骨の髄まで、ぞわりと粟立つのを覚えた。しかし彼は間を置かずに言った。
「虎に殺されるよりも、幽鬼に殺される方がまだましというものです。私は和尚様と宿を共にしたく存じます。」
「去らぬというのであれば、それもまたよかろう。ただし、幽明は路を異にします。貴公は陰の気に侵されることに堪えきれず、また私も陽の気に焼かれることに堪えきれません。互いに落ち着かないでしょう。各々隅に寄って、近づかないようにいたしましょう。」
聶氏は遠くから、身替りを待っている理由を尋ねた。
幽鬼は言った。
「天は生きとし生けるものを愛しており、人が自ら命を絶つことを望んではおりません。例えば、忠臣が節を尽くし、烈婦が貞節を貫くというのは、不慮の横死でありますが、天寿を全うのするのと変わりません。よって身替りを待つ必要はないのです。また、事情が切迫しており、活路を見出すことができなかった者に関しては、やむを得ずそのような結果になってしまったことを憐れみ、輪廻転生の輪へと加えるのです。そして生前の行いを計上し、その善悪の報いによっては、必ずしも身替りを待つ必要はないのです。ただし、一縷の望みがあるのにつまらないことで怒り堪えることができなかったり、あるいは人を困らせ、その邪気をさらに逞しくしたりして、軽率に首を吊った者は、この世の全ての生命の営みに大いに反することになります。それゆえ、天は必ず身替りを待つようにさせ、罰をもって知らしめているのです。そのため、幽鬼として囚われている者たちは、成仏できずにこの世に留まり、百年に至ることもあるのです。」
「人を誘い出して身替りにする者はいないのでしょうか?」
「私は我慢なりません。おおよそ人は首を吊ると、忠義のために死んだ者は魂が頭頂から上へと昇っていき、すぐに死ぬことができます。しかし、怒りや嫉妬で死んだ者は魂が心臓から下へと降っていき、死ぬのが遅くなるのです。絶命する瞬間というのは、身体中の脈が沸騰し、皮膚がどこもかしこもばらばらに引き裂かれたようになって、その痛みはまるで生きたまま捌かれているかのようなのです。胸膈や胃腸の中は烈火に焼かれたかのようになります。到底堪えられるものではありません。しかしそのような状態で十刻(一刻=約15分)ばかり経ってやっと精神が身体から離れていくのです。私はこの痛苦を思い、首吊りをしようとしている者を見ればこれを阻み、すぐに帰らせるようにしているのです。このような私がどうして人を誘い出すことなどいたしましょうか。」
聶氏は言った。
「和尚様、そのような一念をお持ちになっているのであれば、必ずや昇天することかないましょう。」
「それはあえて望むことでございません。ただただ一心に念仏を唱え、懺悔するのみにございます。」
にわかに空が白んできて、聶氏が問いかけても返事は返ってこなかった。よくよく目を凝らしたが、その場所には何も見えなかった。
その後、聶氏は墓参りの度に必ず供物と紙銭を携えて行き、この幽鬼を祀った。するといつも旋風が左右を囲んでくるくると回るのだった。
一年が経って、旋風は吹かなくなった。幽鬼の一念は善良なものであり、すでに鬼趣(六道のうちのひとつ。鬼道。)を解脱したものと思われた。