閲微草堂筆記(343)凶宅
巻九 凶宅
辛卯の年の夏のことである。私は軍に同行して、ウルムチから都に帰って来た。ひとまず、珠巣街路の東側にある邸宅を一軒借りて住まうことにしたのだが、そこは臬司(按擦使の別称)の龍承祖の家の隣であった。
邸宅の第二進(伝統的な四合院造りの家で門から入って二番目の棟)には部屋が五つあった。その最も南側の一室では、まるで風が強く当たっているかのように、常に簾(すだれ)が一尺あまり、膨らんでいた。
他の四部屋の簾は、そのようなことはなかった。一体どういうわけなのか、分からなかった。
幼い娘がその部屋に入ったのだが、驚いて泣き出し、寝台の上に肥った僧が一人座っていて、こちらに向かって嬉しそうに笑いかけてくるのだと言った。
緇徒(僧侶の異称。緇は墨染の衣のこと)の幽鬼が、何故、人の家に棲みついているのか、まったくもって不可解であった。
さらに、三鼓(三更。午後11時~午前1時頃)を過ぎた頃になると、いつも隣の龍氏の家の方から、女の泣き声が聞こえてくる。龍氏の家の中でもこの泣き声は聞こえるそうだが、家の中のどこから聞こえてくるのかは明らかにできないということだった。
ここは善くない土地であるというのは明らかであったため、私は柘南先生の双樹齋(建物の名)の裏手の家に引っ越した。
その後、この二軒の邸宅に住む者は皆、不幸な目に遭った。司寇(刑部尚書。刑法を司る)の白環九が何の病も患っていないというのに急死したが、それはまさにこの龍氏の邸宅でのことだった。
所謂「凶宅」というものは、でたらめな話ではないと信じることができる。
亡くなった私の師である陳白崖先生は言った。
「吉宅に住む者は、必ず吉になるというわけではないが、凶宅に住む者は、必ず凶事に見舞われる。例えるならば、春風は体を温めてくれるが、必ず病を治すことができるというものではない。しかし、厳寒は体に深く沁み入り、一度触れようものなら、すぐに病を患う。良薬は栄養を補うものだが、飲めばすぐに健康になるとは限らない。しかし、峻剤(劇薬)は作用が激しく、飲めばすぐに腹を下すのだ。」
これもまた確かに筋の通った道理である。したがって、凶宅に住むことになったのが定められた運命なのだと思い込み、これと争おうとすべきではないのだ。
孟子の言葉にはこのようにある。
「是の故に命を知る者は岩牆の下に立たず。(己の天命を分かっている者は、自分から危険な場所に近寄らないものである)」