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閲微草堂筆記(388)古松の怪

巻七 古松の怪
 豊宜門の外にある風氏園には、古い松の木がある。先人たちの多くは、この松の木を題材に詩を詠んでいた。
 錢香樹先生は昔、この松の木を目にしたことがあったそうだが、今はもう、すでに薪にされてしまっている。

 この松の木について、何華峰が語った。

 松の木がまだ枯れていなかった頃、風が凪いでいて月が明るい晩にはいつも、松の木から絲竹(管弦)の音が聞こえてくると言い伝えられていた。

 ある時、さる御方がたまたまその地を訪れ、夜、ご友人たちと共にその松を見に行った。

 二鼓(二更。午後9時~午後11時頃)を過ぎた頃、琵琶の音が聞こえてきた。その音は、松の木の真ん中のあたりからするようでもあり、梢(こずえ)の方からするようでもあった。

 しばらくして、小さな声で緩やかに唄う声が聞こえてきた。

 人は道ふ 冬夜寒しと
 我は道ふ 冬夜好しと
 繡被の暖かきは春のごとし
 愁へず 天の暁けざるを

(人は言います、冬の夜は寒いと。
 私は言います、冬の夜は好いものであると。
 刺繍を施した織物の暖かいことといったら、まるで春のようです。
 愁うことはありません。夜明けが来ないことを。)

 さる御方はこれを叱責して言った。

「いったい何の化け物だ!この私に対してこのような淫らな詩を寄こそうとは!」

 唄声は、ぴたりと止んだ。
 俄かに、トントンという音がして、また唄が聞こえてきた。

 郎は桃李花に似たり
 妾は松柏樹に似たり
 桃李花は残なわれ易し
 松柏は常に故のごとし

(旦那さまは桃の花に似ております
 私は松の木に似ております
 桃の花は儚く損なわれやすく
 松の木は常に昔のままでございます。)

 さる御方は頷き、言った。

「こちらはなかなか、風雅に近いものではないか。」

 琵琶の余韻が長く響き、掻き消えようとする、その間際であった。かすかに松の木の外側から何者かの独り言が聞こえた。

「この爺さんは、ずいぶんとやりやすかったな。こんな言葉を使って言ってやるだけで、すぐに喜ぶのだからな。」

 バチンッと弦が切れたような音が響き、その後、再び音が聞こえることはなかった。辺りは静寂に包まれるばかりであったという。

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