見出し画像

閲微草堂筆記(431)鬼火

巻九 鬼火
 燐とは鬼火のことである。
 『博物誌』には戦で流れる血が変じたものだとあるが、そうではない。いたるところに戦で流れる血があるものだろうか。

 そもそも幽鬼とは人間の気の残滓である。幽鬼は陰に属するが、気の残滓は陽に属するものである。陽のものが陰のものによって抑えつけられると、陽のものは寄せ集まって光となる。例えば、雨の陰気が強まって蛍火が生じ、海の陰気が強まって、陰火(青白い火)が生じるようなものである。

 鬼火は秋冬によく見られ、春夏にはあまり見かけない。これは秋冬には陰の気が凝り、春夏には散じるためである。
 時たま、春夏にこれが見えるのは、人気のない部屋や廃墟で、そうでなければ必ず深山幽谷である。これらはいずれも陰の気が常に凝っている場所だからである。
 鬼火は、多くは野原や荒野、藪や沢、湿地に見られる。陽のものは陰のものに寄っていく。地は陰の属性であり、水もまた陰の属性である。それゆえ、鬼火はそれらの中に現れるのである。

 亡き兄の晴湖は、かつて年丈(同年に科挙に合格した者の父親)の沈豊功とともに夜道を歩いていた。すると鬼火が高い樹の頂上に見えた。炎は青白い光を発し、まるで松明のようだった。このようなことは今まで聞いたこともなかった。

 しかし李長吉の詩にはこのようにある。

多年の老鴞は木魅と成る
笑声、碧火は巣中より起こる

(年老いたフクロウは木魅となる
 笑声と碧火は巣の中より起こる)

 彼もまた、かつてこの怪異を目にし、それゆえこのような詩を詠んだのだろう。
 亡き兄が見たものも、あるいは木魅の仕業だったのだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!