閲微草堂筆記(399)神仙の戯れ
巻四 神仙の戯れ
滄州の画工である伯魁は、字(あざな)を起瞻という。(その姓は、この「伯」という字であり、自ら伯州犁(楚の太宰)の末裔であると称していた。友人のある者はふざけて「君は二代目太宰公とは名乗らないのだね。」と言っていた。近頃、その子孫は文字を知らずに自らを「白」氏と称している。)
彼はかつて、一人の侍女の画を描いた。しかし、ちょうど輪郭を描き出したところで他に用事ができてしまい、途中のまま画室に鍵をかけて置いておいた。
二日が経って、続きを描いて完成させようとしたのだが、机の上には顔料の皿が置いてあって、辺りはごちゃごちゃに散らかっていた。また、絵筆も幾度か濡らされた形跡があって、侍女の画はすでに出来上がっていた。
その画の神采はまるで生きているかのようで、格別の出来ばえであった。
伯魁はたいそう驚き、私の母方のおじである亡き張夢微公にこれを見せた。張夢微公は伯魁が画を学んだ師であったのだ。
すると、張夢微公は言った。
「これはお主の及ぶ領域ではない。私の及ぶ領域でもないだろう。おそらくは、たまたま神仙が戯れたのではないだろうか。」
時に、城守尉の永公寧はすこぶる画を愛好しており、これを良い値で買い取った。
永公は後に四川の副都統に任じられたが、この画を携えて行った。
彼がまさに官を辞す数日前のことであった。画の中の侍女が忽然と見えなくなった。ただぼんやりとその影だけが残されていて、その部分の紙の色は真新しかった。しかしその他の樹や石の部分は薄黒く古いままだったという。
そもそもこれは、彼が辞官する徴(しるし)が先に顕れたのであろう。
それにしても、画の中の侍女が消え去ることができた理由はついぞ分からずじまいであった。