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閲微草堂筆記(412)幽鬼のいるところ
巻二十二 幽鬼のいるところ
小作人の劉破車の妻が言うことには、ある日、朝早くに起きて、涼しいうちに庭の掃除をしていたところ、建物の裏手の納屋の中で、二人の人間が裸になって倒れていた。
妻は驚いて夫を呼び、その二人は、隣の家のと月雇いの使用人だと判明した。二人は並んで倒れていて、死んでいるかのように見えた。
まもなく隣人もやって来て、心の内ではその事情を察したが、何故この納屋にいたのかは分からなかった。
生姜湯を飲ませたところ、二人は目を醒ました。隠し立てすることもできず、その事情を話した。
「私たちはずいぶん前から約束をしておりましたが、家の中は狭くて少しの隙もありませんでした。折よく雨が降った後に塀が壊れ、空模様も暗くどんよりとしていましたので、破車の納屋は無人であると思い、納屋の藁の上に横になって逢引きをしたのです。疲れて一休みしたのですが、互いに恋々として起き上がることができませんでした。すると忽ち雲の切れ目から月が姿を現し、皓皓と辺りを照らしてまるで昼間のようでした。ふと納屋の中を見回すと、七、八人の幽鬼が座って、こちらを指さして笑っていたのです。驚きと恐怖のあまり、魂が抜けたようになって、今ようやく目覚めたところです。」
人々は不可思議な出来事だとしたが、破車の妻は言った。
「私の家には元々幽鬼などおりませんわ!この二人のふざけた劇を観ようとしてついて来たのでしょう。」
亡き従兄の懋園は言った。
「一体どこなら幽鬼がいないのか。一体どこなら幽鬼に笑われないのか。ただそれを見る人間と見ない人間がいるだけなのだ。これは何も珍しいことではない。」
それで私は福建省の囦関公館(俗にこれを水口という。)のことを思い出した。ここは大学士の楊公が閩浙(福建省と浙江省)の総督をしていた時に再建したものである。
ちょうど私が巡視に出ていた時、楊公は私に語った。
「君は水口公館に着いたら、夜何かを見ることになるかもしれないけれど、恐れてはいけない。何か害があるというわけではないからな。私はかつてそこに泊まり、錠をおろして眠りに就いた。しかしその日は暑く、寝床を窓の近くに移して、紗幕を隔てて外の空模様を見ていた。月は暗かったが、庇(ひさし)の端には六つの灯篭が掛けられており、まだすべて灰にはなっていなかった。ふと庭の中を見ると黒い影がいて、なにやら人の形をしていた。階段の前のあたりで、ある者は座り、ある者は臥せ、ある者は歩き、ある者は立っていた。しかし寂然としていて物音ひとつしない。夜半、再び様子を見たが、それはまだにそこに居た。鶏が鳴く頃になって、それはだんだんと縮み、地面に入っていった。試しに駅吏に尋ねてみたが、皆何も知らないということだった。」
私は言った。
「貴公は総督であり、大学士でもありますから、鬼神が黙って随うのは当然です。しかし私の場合はどうしてそのようなことになりましょうか。」
楊公は言った。
「そうではない。仙霞関(現在の浙江省江山市保安郷の南部)の内側で、この地は水陸の要衝だ。兵を指揮する者は必ずここで争うことになる。明末の唐王、清初の鄭氏、耿氏、戦で傷つき倒れた者は数知れなかった。あれらの影は、その浮かばれない魂が空き家に入り込んでひそかに棲み処にしていたのだ。大官がやってきたので避けていたにすぎないのだ。」
この話もまた、どこにでも幽鬼がいることの証明に足るものだろう。