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閲微草堂筆記(424)申鐵蟾の最期

巻八 申鐵蟾の最期
 申鐵蟾は、名を兆定といい、陽曲(現在の山西省太原市に位置する)の人であった。
 庚辰の年の試験で挙人(郷試の合格者)となり、その後は県令を務めた。私の家の門下の者で最も長く世話をしてくれた人である。

 ところが、庚戌の秋のこと、彼は陝西の県令の試用期間中であったのだが、突如一通の書簡を寄こして私と決別した。その書簡の中の言葉は支離滅裂ではっきりせず、恨み言や泣き言のようなものが書き綴られていたが、何を言っているのかまったくもって意味が分からなかった。
 それにしても、申鐵蟾は元より志を成就できなかった人というわけではなかったので、不可解に思うもその理由を明らかにすることはできなかった。

 それから幾何もなく、果たして彼の訃報が届いた。
 ほどなくして賛善(太子の補佐を掌った官吏)の邵二雲と会ったのだが、そこで初めて鐵蟾は西安で数カ月病の床についていたと知った。

 病が癒えた後、彼は山へと入って狩りをしたが、その帰り道、目の前に二つの丸い球体が現れた。それはまるで風輪(寺院の屋根の上の装飾。風を受けて音を出す。)のようにぐるぐると旋回しており、目を瞑っても見えるのだった。

 数日後、その球体は突如として裂け、中から侍女が二人出て来て、仙女の迎えであると言う。すると知らぬ間に、彼の魂は侍女たちの後について行った。

 竜宮のような立派な御殿に辿り着くと、絶世の美女が一人いて、自ら結婚を申し入れてきた。鐵蟾はその申し入れを固く辞し、このような立派な邸宅は不慣れであるからと言い訳をした。
 女はわずかに苛立った様子で彼を追い出した。そこではっと夢から目覚めた。

 それから一カ月あまりが経って、彼の目の中で以前と同じように二つの球体が爆ぜた。同じく二人の侍女が現れて、また彼を連れて行ったが、すでに別の邸宅が用意されていた。落ち着いた佇まいで趣深く、彼はそこをいたく気に入り、尋ねた。

「ここは何という場所ですか?」

 女は答えた。

「佛桑と申します。どうか扁額にその名を書いてくださいませ。」

 そこで彼は八分体(隷書の書体の一つ)で「佛桑香界」と書いた。
 女は再び結婚を申し出てきたが、鐵蟾はもはや自らの意志を保つことができず、とうとう契りを交わしてしまった。

 それからというもの、彼は常に夢の中で女と遊んだ。しばらくすると、女は白昼にもこちら側へやって来るようになった。さらに女は鐵蟾が親しい人々と交流することを禁じた。彼の病は徐々にひどくなっていった。

 そこで方士の李某が赤い丸薬を彼に飲ませたが、嘔吐が止まらずそのまま亡くなってしまった。


 これはなんとも奇怪な話であった。そして、私はようやく、以前送られてきた書簡は、彼が心を病んでいた時に書かれたものであると知ったのだった。

 鐵蟾はすこぶる聡明で詩歌を得意とし、八分体も巧みで、科挙の試験場ではその名を馳せていた。また、俗事を超越し、風流人を自負していた。
 人と交流する時、その意気は雲のようで、彼の書く書簡は天下のいたるところへと送られていた。

 中年となり突如として神仙に傾倒し、ついにこのような魔障に見舞われ、心神を弱らせて生涯を終えることになったのだ。

 妖は人より興り、現象は心によって造られる。
 鐵蟾はとめどない才気を具えながら、一転して怪異を好んだがゆえに命を損なうことになった。なんと惜しむべきことであろうか! 

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