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閲微草堂筆記(469)乾隆庚子の火事

巻二 乾隆庚子の火事
 乾隆年間の庚子の年(1780年)、都(現在の北京市)の楊梅竹斜街で火事が起こり、百棟近くが燃えた。
 しかし、とあるあばら家が一軒、どっしりと構えて唯一残っていた。
 周囲は倒壊し瓦礫となっており、あばら家とはまるで線を引いて分けたかのようだった。

 そのあばらや家では、寡婦が病気の姑を守って逃げていなかった。

 これは所謂、「孝弟の至り、神明に通ず。」(※)ということであろう。

※『孝経』「感応章第十六」より。父母や兄に対する孝行の念は天に通じるのだ、という意。

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