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閲微草堂筆記(488)草むらの中の石
巻一 草むらの中の石
光祿(官名)の陳楓崖が言うことには、康熙年間のこと、楓涇(現在の上海市金山区に属する)に一人の大学生(監生の雅称。国子監の学生。)がいた。
彼がかつて別邸で読書をしていたところ、草むらの中に石があるのを見つけた。すでに風化し割れて剥がれ落ちていたが、わずかに数十字が残っていた。たまたま一、ニ句ほどが読み取れ、どうやら若くして亡くなった娘の石碑のようであった。
学生はもとより物好きであったので、石碑の近くには必ずその墓があると考え、毎日石の上に茶菓を並べて置き、お参りをして親しげに声を掛けていた。
一年余りが経った頃、ふと見れば見目麗しい娘が一人菜園を歩いている。娘は野花を摘んで学生の方を振り返り、ふわりと微笑みかけた。
学生はその近くまで駆け寄り、流し目を送って誘い、籬(まがき)の裏手の茂みに娘を引き入れようとした。
すると娘は棒立ちになってじっと一点を見つめ、何やら考え込んでいるようだったが、忽ち自らの頬を叩いて言った。
「百年あまりの間、この心は枯れ井戸のようであったのに。どうして一旦でもこのような放蕩者に心を動かされてしまったのでしょう。」
そして何度も地団駄を踏むと、ふっと姿を消してしまった。
そこで学生は、これが例の墓の幽鬼であったと気づいたのだった。
話を聞いた修撰(史書編纂に携わる文官)の蔡季実は言った。
「古くには『蓋棺論定』(その人の一生涯の功績と罪は死んでから評価されれるものである。)といったが、この話を鑑みれば、死してなお結論を下すのは難しいようだ。本来は貞節を守りぬいた者の魂であったのが、わずかに一念を過つだけでも、今まで歩んできた道を踏み外すことになるのだ。」
晦庵先生の詩にはこのようにある。
世上 人の欲の険しきに如くは無し
幾人か 此に到りて平生を誤つ
(世の中で人間の欲ほど危ないものはない。
この欲が極まって一生を棒に振った者は幾人になるだろうか。)
まさにその通りではないか。