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閲微草堂筆記(490)李鷺汀の占い

巻十二 李鷺汀の占い
 許文木が言うことには、康熙の末年、古物商の李鷺汀は彼の父の友人であり、六壬(中国の占術のひとつ。)を得意としていた。
 しかし朝早く起きて一人でたった一度占うだけで、人のために占おうとはしなかった。
 李鷺汀曰く「未来のことをあまりたくさん世間に漏らすと、神に愛想をつかされてしまう。」とのことだった。

 ある人が彼を連れて康節(邵雍。北宋時代の儒学者。易を得意とした逸話が残る)に匹敵する占いの腕前であると紹介すると、彼は言った。

「私はわずかに六、七分を知るだけです。かつて占ったところ、某日仙人が竹の杖をついてやって来て、酒を飲み詩を書いて去って行くという結果が出ました。そこで香を焚いて仙人を待っていたところ、ある人が竹に純陽(呂洞賓。中国の代表的な仙人。八仙のうちの一人。)の像を彫刻したものを持ってきて、買い取ってくれないかと言うのです。彫刻の純陽は酒の入った瓢箪に寄りかかっており、その上に呂洞賓ゆかりの『朝游北海』の詩が刻まれていたのです。康節であればこのような失敗をすることはないでしょう。」


 李鷺汀は年五十あまりにして子は無く、ただ一人妾を養っていた。
 ある日、許文木の父が彼のもとを訪れたところ、その妾の泣き叫ぶ声が聞こえてきた。妾はさらにくどくどと語って言った。

「一体どういうつもりで人のことを揶揄っているのです!私を試そうというのですか!」

 続けて鷺汀が懸命に弁明するのが聞こえてきた。

「これは真に本当の話で、決して揶揄っているわけではないのだ。」

 そこで許の父は門を叩いて彼らが反目している理由を尋ねた。
 すると鷺汀は言った。

「これは大変奇妙な出来事なのです。今日私が占いましたところ、二人の客が古器を売りにやって来ると出たのです。その客のうちの一人は、この妾の前世の夫で、夫婦の縁がまだ一晩分残っています。そしてもう一人の客は、これから夫になる者で、半年以内にめでたく結ばれることになります。これに今夫である私を加えた三人が、生きて一堂に会することになるというのです。私はこの占いの結果を彼女に伝えたのですが、急にひどく怒り出してしまいました。命運は定まっていて変えることはできません。私が泣いていないというのに、彼女は泣き出してしまって、私が気にしていないというのに、彼女が気にしてしまっているのです。なんて物分かりの悪い女なのでしょうか。」


 半年が経って、果たして鷺汀は死んだ。
 妾は翰林院のとある官吏の家へと売られていったが、正妻に受け入れられず、一晩過ごしただけで追いやられてしまった。再び、とある中書舍人の家へと売られたが、そこでようやく落ち着いたという。

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