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閲微草堂筆記(410)猴妖

巻十四 猴妖
 田という村のとある農家に妻がおり、たいそう貞淑でたおやかな女性だった。

 ある日、夫に昼飯を届けに出たところ、野原で一人の書生と遭遇した。
 書生は妻につきまとって、瓶の中に水を注いでくれないかと頼み込んできたが、妻は応じなかった。すると今度は延べ銀(銀を平たくのばしたもの)を取り出し、妻の袖の下に投げ込んできた。妻がこれを投げ返して罵ると、書生はあたふたと慌てながら逃げて行った。

 晩になって、妻は夫にこのことを告げた。夫はそれらしき人物を捜してまわったが、該当する者はいなかった。そのため、それは妖魅だったのではないかと怪しんだ。

 数日後、夫は用事があって出かけたが、雨に足止めされて帰ることができなかった。

 件の妖魅は、その夫の姿に化けた。雨の中無理を推して帰ってきたというふりをして、妻と共に寝所に入った。そして忙しない様子で早々に灯りを消すと、すぐに妻と体を重ねようとした。

 その時、たちまち雷光が窓から射しこんできた。見れば、照らされていたのは先日の書生であった。

 妻は怒り狂って爪でその顔を引っ掻き、妖魅はあっという間に窓から飛び出した。一声、ぎゃあっと叫ぶのが聞こえてきたが、その後の行方は分からなかった。

 次の朝早く、夫が帰ってくると、門の外で猴が一匹、脳が裂けて死んでいた。刃で斬られたような有様だった。

 そもそも、妖魅が人を惑わすのは、すべて人間側に下心があって懇ろになろうとするからである。

 人間側に元々そのような心が無いというのに、機に乗じて不意を突き、変化して貞節を犯そうなどというのは、強姦の罪に相当するだろう。

 天の道理からするに、それは決して許されるはずもない。

 以前記載した、竹汀から聞いた話(※)と比べても、その報いが返ってくるのはさらにも増して早かった。

 あるいは、土地神の権限では力不足で判決を下すことができないとして、天神によって速やかに天誅を下したのだろう。

 それにしても、妖魅はまだ完全には妻を犯したわけではなかったが、妻の貞節はすでに汚されてしまっていた。それゆえ、訴え出るよりも前に天誅が下されたのだ。


※284話「貞女の訴え」
https://note.com/gekogeko63/n/ncf488627de8c

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