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閲微草堂筆記(429)異術
巻十五 異術
蔣心余が言うことには、とある客人が、人と湖で遊ぶ約束をしてその場所へと赴いた。湖に着くと、そこには美しく飾った遊覧船があり、笛や鼓の音が鳴り響いていた。
船の上では、紅裙を身に纏った女がお酌をしてまわっていたが、よくよく見れば、それは彼の妻であった。
家からは二千里も離れた場所であり、一体どうして落ちぶれここまで流れ着いたものか、わからなかった。しかし彼は辱められることを懼れ、口を噤んで誰にもそのことを言おうとはしなかった。
妻もやはり彼と顔見知りのような素振りは微塵も見せなかった。それにしても恐れているようには見えず、また恥ずかしいと思っているようにも見えなかった。楽器を奏でて唱を歌い、袖を引いて杯を酌み交わし、平然とした様子だった。
ただその声は妻のものとは似ていなかった。さらに彼の妻は笑う時に口元を隠すが、この妓女はそうではなく、そこも似てはいなかった。
しかし右腕には粟粒ほどの赤い痣があり、そこは非常に似通っていた。
彼はわけが分からずおおいに困惑し、早々に宴の席を辞し、すぐに旅支度を整えて家に帰ろうとした。
すると家から便りが届き、そこには妻が半年前に死んだと書かれていた。
彼は妻の幽鬼を見たのだと思い、再び探し求めようとはしなかった。
彼と親しい者たちは、その様子が普段とは異なることに気づき、再三にわたって問い詰めた。そこで彼はようやく理由を話したが、それを聞いた皆もそれは偶然妻に顔が似た人であったのだろうと思った。
これはその後に聞いた話である。
一人の遊士がおり、呉越(浙江省と江蘇省)の間を行き来していた。誰かに謁見を求めるわけでもなく、交遊するわけでもなく、何かを経営したり貿易したりするわけでもなかった。ただ数人の女を連れて門を閉ざしていた。時折、そこの女が一人二人が出て来て、媒酌人の老婆がこれを買い取って行くだけであった。
人々は女衒だとして、関わりを持たず、深入りしようとしなかった。
ところがある日、その遊士はひどく慌てた様子で、急ぎ船を雇って天目山(浙江省杭州市臨安区の西北に位置する山。道教、仏教の聖地。)へと赴いた。
そして高僧の元で仏道に帰依したいと申し出、書状を渡した。しかしその文は掴みどころがなく、核心を避けているようで話の筋道が立っておらず、何事も分からなかった。さらにその書状には「もともと仏道より伝えられたことでございますので、仏道に助けを求めるのは当然でありましょう。慈雲の庇護におすがりし、どうか雷による刑罰をご寛恕いただきたく思います。」という語があったため、何か別の理由があるのではないかと思われた。
そこで遊士から貰った布施を返し、丁重に断り帰らせた。
その帰り道、果たして遊士は雷に撃たれて死んだ。
後に、彼の従者がわずかに事情を漏らして言った。
「この方は紅衣の蛮僧に異術を授かったのです。呪文を唱えることで新たに納棺された女の屍を操って集めることができ、さらに妖狐や淫鬼を呼び集め、女の屍に憑りつかせて身体を生き返らせ、彼に侍らせたのです。また新しい屍を手に入れると古いものは人に転売し、それで得た利益は数えきれないほどでした。それゆえ、夢に神が現れ、この悪業もすでに期は満ち、すぐに天誅が下るだろうと責め立てたのです。それで彼は懺悔し、天誅を免れようとしたのですが、結局それは叶いませんでした。」
例の客人の妻は、この者に操られたものだったのだろう。
理藩院の尚書である留公が言うことには、紅教喇嘛(チベット仏教の旧派。紅色の帽子を身に着けた。)には女を操り集める術があり、それゆえ黄教(チベット仏教の新派。黄色の帽子を身に着けた。)では彼らを魔として排斥するのだという。