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閲微草堂筆記(468)幽鬼の巣窟

巻十四 幽鬼の巣窟
 何子山先生が言うことには、雍正年間の初め、呪符の扱いを得意とする道士がいた。

 道士はかつて、西山の奥深くにたどり着いた。彼はそこの林泉の佇まいをいたく気に入って、庵を結んで世俗から逃れ静かに暮らそうとした。

 現地の人々は、ここは妖魅や幽鬼の巣窟であり、柴刈りをするのにも、隊を組まなければ踏み入ろうとはしない、狼や虎ですらそこには居つくことはできないのだから、先生は考え直した方がよいと言った。
 道士は言うことを聞かなった。

 すると俄かに幽鬼や妖魅が祟りをなすようになった。ある時には庵の建材を盗み、ある時には大工に悪夢を見せ、ある時には調度品を壊し、ある時には食事を汚した。荊の道を行くように、一歩一歩進むごとに妨げがあり、野火が四方から起こり、木の葉が風で乱れ飛んでくるかのように邪魔が入って、手と目が千あっても対応する暇がなかった。

 道士は怒って祭壇を設え、雷将を召喚した。
 雷将が降臨すると、妖魅はすでに逃げた後だった。人気(ひとけ)のない山を広く捜して回ったが、何一つ捕らえることができなかった。
 雷将が去ると、数日でまた幽鬼や妖魅たちが集まってきた。このようなことが数回続いた。雷将は侮られることを嫌い、二度と道士の召喚に応じなかった。

 道士は片手で印を結び、片手に剣を持ち、ただ一人で戦った。妖魅に踏みつけられ、髭を抜かれ、顔面を潰され、裸で逆さづりにされた。
 たまたま遭遇した樵(きこり)が解いてくれて、道士は慌てふためいて逃げて行った。
 道士はそもそも、雷将召喚の術だけがたのみだったのだろう。

 勢いのあるところでは、聖人といえどもこれに逆らうことはできない。すでに徒党が組まれてしまっていては、帝王であろうと破ることはできない。

 時間をかけても状況を変えることは難しく、その数が多ければ誅することもできない。したがって、唐にとって、牛や李(牛李の党争。唐代に官僚内部で起こった党派争い。)を排斥することは、河北の藩鎮を壊滅させるよりも難しかったのだ。

 道士は、衆寡によって形勢が変わることや局面に主客があることに気付かず、相手の力量を測ることができずにその切っ先に触れてしまったのだ。
 敗れたのは当然である。

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