閲微草堂筆記(387)雷の別
巻十四 雷の別
族弟(一族の中の弟輩)の継先は、かつて広寧門の内側にある友人の家に泊まった。その晩は嵐で、雷火が屋山(部屋の背面に近い壁を屋山という。形が山に似ているためである。范石湖の詩の中でしばしばこの語が用いられている。)を貫通していった。稲光が一本線のように伸び、壁や建物が皆揺れた。
翌日、その箇所を調べると、東西の壁にそれぞれ銅銭ほどの大きさの穴があいていた。
これは雷神が精魅を追うのに壁を貫いて通り抜けたものであった。
おおよそ、人間を撃つ雷は天から下に向かって落ちてくる。対して妖怪を撃つ雷の多くは横方向に飛ぶ。これは逃げるものを追いかけるためである。さらに通常の雷であれば、地の気が鬱積し、爆発して上へと噴き出してくる。
私は福寧で山嶺を越えていた時、山頂で雲の中の雷を見た。また、淮鎮で雨に当たった時、荒野で地面から出てくる雷を見た。いずれも煙のような気が上へと立ち昇り、天の半ばまで到ったかと思うと、その端で火光が爆発し、すぐにドォンというもの凄い音が響いた。鉄砲を発砲するのとまるで変わらなかった。
しかしながら、これはどちらも誰もいない場所でのことだった。人のいる場所ではかねてよりこのようなことは無い。
ある者は、これは天の仁愛の心のあらわれで、雷に触れてしまった者が死ぬのを恐れたのであると言うが、これはまったくもって見当違いである。
人は三才(天、人、地のこと)の真ん中に位置する。そのため、人が集まる場所というのは天と地の気の流れがよくなるものなのだ。気が流れていけば鬱積することもなく、一体どうやって雷が生じることができるというのか。
辺境の寒さの厳しい地方で、田を耕して家畜を養い、だんだんと村落ができていくにつれ、だんだんと地の気が温まってくるのも、このためである。