”3rdの前座ライブ”に成り下がったシャニマス2nd〜”コピペセトリ”は回避できなかったのか?〜
今回はライブのセットリストやテーマの無さなど、キャラクター性以外の部分を述べる。タイトルでは2ndがメインになっているが、上の記事に引き続いて3rdについても言及する。
”本来の2nd”をなぜやらなかったのか
ミリオンライブ7thでは、中止になった昨年とほぼ同じセットリストをやったらしい。シャニマス2ndでも、昨年やるはずだったセットリストをやってほしかったし、できたはずだ。
テーマのない2nd3rdにおける根本的な問題は、再演された2ndにある。再演された2ndではGR@DATE WINGのA面を両日やったが、これは3rdでソロ曲に時間を割くための布石だと思っていた。しかし蓋を開けてみると、3rdでも全ての公演でGR@DATE WINGのA面をやった。そして、本来の2ndライブで確実に演奏されるはずだった大切な2曲である「FUTURITY SMILE」と「SWEET♡STEP」を「いらない」と捨て去った。
「コロナだから許してやれ」という頓珍漢な擁護
ライブについてのあらゆる批判や意見に関して、「コロナだからしょうがない、許してやれ」という謎の擁護が見られる。コロナだから許せるのは、会場のキャパシティの削減と公演時間ぐらいだろう。感染症対策の観点から、それは仕方がない。
だが提供されるクオリティは、パンデミックと関係ないはずだ。練習する時間が少なかったから75%同じ曲でもしょうがないとか、そんなことは知ったことではない。練習する時間がないのなら、そもそもこんな短期間で2nd3rdを連続でやるなと思う。我々はただの消費者であり、断じて「一緒にライブを作っている」のではない。「消費者のくせに演者や作ってくれた人に失礼ではないか」ではない。誰もが自由に意見を言っていいはずだ。
捨て去られた「FUTURITY SMILE」と「SWEET♡STEP」
「この2曲はMUSIC DAWNでやった」という擁護は適切ではない。これら2曲は全体曲であり、各ユニットごとにパート分けもあるので、当時の19人全員で歌うことに価値のある曲だからだ。特に「FUTURITY SMILE」は、アイドル全員で歌うことで感動できるはずなのに。だから、シャッフルメドレーで数人が歌ったからと安直にノルマとして片付けていい曲ではない。
シャニマスは毎年出る楽曲数が限られているので、この2曲は2020年に2ndが開催されれば絶対に演奏されたはずだ。シャニマスとは関連の薄いみんマス曲「なんどでも笑おう」をやる暇があったら、「FUTURITY SMILE」をやるべきだった。「なんどでも笑おう」をやるにしても、そもそも「FUTURITY SMILE」と「SWEET♡STEP」は絶対に演奏されるべきだから、その時間は確保されるべきだ。この素晴らしい2曲を捨て去ってまで、75%同じ楽曲のコピペセトリを強行する必要があったのか?
蔑ろにされるキャラクター、パート分けとソロ曲ガシャ
「プラニスフィア ~planisphere~」「リフレクトサイン」「SOLAR WAY」も7回連続でやっているのも周知の事実(地震がなければ8回)だが、それより指摘されていないのは、パート分けがないことである。特に2ndでは全員が全ての歌詞を一緒に歌っているので、パート分けもクソもない。全員で歌えば、誰かが歌詞を間違えても有耶無耶にして誤魔化せると言うメリットがあるのだろう。
だが、自分はこの3曲に関してはパート分けの部分をとても楽しみにしていたので非常に残念である。甘奈や円香が「あの歌詞を歌う」のが良かったわけで、全員で歌うことでキャラクターが固有パートを歌う個性を完全に捨て去っている。この点についても、今回のライブ群がキャラクター性を軽視している部分だといえよう。3rdライブでは2人程度で各パートを歌っていることが多かったので2ndに比べて改善されているが、それでも1人では歌わなかった。キャラクターなんかどうでもよくて、声優の容姿にしか関心がないファンが多いから、運営はこういったキャラ要素を捨て去ったのか?
なぜ夏葉を名古屋で凱旋ライブさせなかったのか
蔑ろ繋がりでもう1点。3rdのソロ曲についても、各公演ごとに選んだテーマもクソもない。規則性を挙げるなら、各公演ごとにユニットのリーダーが1人ずつ選ばれることと、ソロアルバムのチームが最大で2人、各チーム最低1人は選ばれることぐらいだろう。一部のキャラだけが誕生日にソロ曲を歌い、凱旋ライブができたのだ。この2人は優遇されたが、明らかに不遜な扱いを受けたキャラが1人いる。
今回のライブで最も腹が立ったことの1つに、夏葉のソロ曲を名古屋公演でやらなかったことを挙げる。「夏葉は恋鐘ほど出身地要素を普段出していない」と擁護するのだろうが、逆に夏葉を東京でやる必要があった理由も、名古屋でやってはダメだった理由もないのでこの反論は適切ではない。名古屋で樹里と果穂、咲耶のソロをやる必要性がないことからも、この論点からもテーマがないライブであると露呈している。「灯織のソロの後に歌うと咲耶のソロを繋がるとリリイベで言っていたから」、だからなんだ。人数の多い東京出身者を全員東京公演で歌わせろとは言わないが、せめて地方出身キャラのソロぐらい出身地で歌わせてやれよと思う。これもキャラクター性を蔑ろにしたといえる根拠だ。
2ndの初っ端でノクチルが出る必要はあったのか
全員が全部の歌詞を一緒に歌う、パート分けもクソもない「カラオケ大会」は上記の3曲に限った話ではない。2ndの1曲目「Ambitious Eve」からそうだった。ノクチルが歌ったことで、本来のパート分けもクソもなかった。個人的には、感謝祭で披露されたパート分けの成された本来の19人が歌う「Ambitious Eve」がもう一度見たかった。
本来行われるはずだった2ndではFR@GMENT WINGまでの楽曲だけでセトリを組んだはずだ。だがそうはならず、8回もGR@DATE WINGのA面曲を聞かされる羽目になった。これのせいで、3rdのマンネリ化がさらに加速した。なぜGR@DATE WINGのA面をわざわざ2ndでやる必要があったのか?「声優が練習する時間が取れなかったから」「パンデミックでいつ誰が離脱するかわからないから曲数を絞る必要があったから」以外考えられないが、声優の練習に時間が割けないのであれば短期間でツアーを組むなと言いたい。
もっと言うならば、ノクチルには2ndでサプライズ的にアンコール後に出てきて欲しかった。本来の2ndの大部分ではストレイライトまでの19人で演奏するはずだったからだ。そして、ノクチルが仲間入りするビッグサプライズがアンコール前にあったはずなのだ。パンデミックの影響でそれは叶わなくなったが、その再演を体感したかった。サプライズ的に颯爽とノクチルに登場して欲しかった。
本来の2ndであればこの爽やかなPVが会場で流れ、観客は熱狂したのだろう。もしかするとこのPVの後にキャストが「いつだって僕らは」を初披露したかもしれない。1年経過した今ではそのサプライズは無理だが、それに代わる特殊演出があっても面白かっただろう、そういったことも全くなかったが。信者でもなければ、MUSIC DAWNから数えて10回も同じノクチルの2曲を聞かされたら流石に飽きてくる。
「ノクチルは曲数が少ないからしょうがない」という批判は適切ではない。新規ユニットの持ち歌が少ないのはシステム上仕方なく、分かりきっていることで、対処できたはずだ。ノクチルもこの点に関しては被害者だろう。対処できていれば、10回も同じ歌を歌わされなかったはずだ。
ソロアルバムごとにテーマ分けするなどできたはず
もともと告知の段階でソロアルバムのカラーと対応する色分けをされていたから、ソロアルバムのメンバーを重点的に公演が組まれるのではと予想した人もいるのではなかろうか。自分はそうだったので、名古屋はStella・東京はLuna、福岡はSolのメンバーを重点的に抑えられると思っていた。しかし蓋を開けてみれば、ほぼ全員がどの公演にも参加するコピペセトリだった。
なぜユニットアルバムのメンバーごとの公演にしなかったのか。そうすれば感染症対策にもなっただろうし、各公演ごとにテーマ分けできたはずだ。たとえばLunaにはアンティーカが3人もいるので、Lunaがメインになる公演ではアンティーカの残り2人も加えてアンティーカを中心にセットリストを組んでも良かっただろう。その他のLunaのメンバーは全体曲とソロ曲を中心に、という感じで。さらに、ソロアルバムのメンバーだけのライブ限定コミュ(台本劇や寸劇)などが見れればキャラが好きなオタクにとっては最高の演出になっただろう。そんなことは一切なかったが。
ノクチルの楽曲が少ないのだから、それを補うために各ユニット2曲ずつではなく1曲ずつでもよかったのかもしれない。そうすればマンネリ化せずに、各曲の希少価値が上がっただろうし、どの公演の配信も見る価値があったはずだ。毎回セットリストが違うのだから。ユニットアルバムのメンバーごとに公演する以外にも、「名古屋公演ではストレイとアルストがメイン」みたいな感じで、各地域ごとにユニットを絞っても良かったのかもしれない。
75%同じセトリとソロ曲ガシャの相反する矛盾
ライブツアーとはどの公演も全く同じセットリストで、同じじゃなければ地域ごとに差が出るので意味がない。現地に参加する人が同じ体験をできるようにセトリを統一して当たり前なのだ、という擁護がある。
たとえばこのバンドのように、全てのツアーでセットリストを固定して、1回のライブで同じ体験をさせる方法もあっただろう。だが今回のライブ群ではそうしてないので、この擁護は適切ではない。
なぜソロ曲はガシャにしたのだろうか?各公演ごとにソロ曲だけは全く異なるのだから、全て聴くためには全通するしかない一方で、残りの75%の曲は全て同じなのだ。この点が今回のライブ群は矛盾している。ソロ曲ガシャを実施した時点で、運営側は全通を想定していると思う。
そして今回に関しては「全通を想定してセトリを組むことができた」と考える。今回のライブ群では感染症対策のためにキャパシティを少なくしているので、お金を出せば誰でも自宅の配信ライブで全通できた。2nd3rdは全通できる環境が完璧に整っていたのだ。
にも関わらず、75%の楽曲は同じコピペセットリストを6回もやり、曲によってはMUSIC DAWNから10回連続で同じものをやった。これは自らライブの価値を貶めているとしか思えない。同じ曲ばかりのセトリであれば、信者でなければ「1回みれば十分」と思うのが普通ではなかろうか。
「名古屋では唯一イルミネが揃うから、BRILLI@NT WINGの曲もやろう」などとセットリストを毎回変えれば、全ての公演を配信でも見た人がいるだろう。だが実際のところ、自分の好きなキャラのソロ曲をやった公演しか見てない人が周りでは多く観測された。コピペセットリストであるが故に、これは大きな損失であると思う。
セットリストに意味があった1stと感謝祭
セットリストにテーマを持たせるためにはどうすればいいのか、シャニ1stを例に推察してみる。一般的に、1回のライブで同じ曲を何度もやることは推奨されていないはずだ。だがシャニ1stでは「Spread the Wings!!」を同じメンバーで2回やっているにもかかわらず、なぜ1stを手放しで絶賛するのか。
理由は主に2つ。まず、「1回のライブで2回も同じ曲はやらないだろう」という暗黙の了解を破っていることがサプライズたり得ていること。そして最も言いたいのが、1回目の演奏と2回目の演奏では「Spread the Wings!!」の意味が全く異なっていることである。
1回目は、シャイニーカラーズとして初めてのライブで披露するオープニング曲の意味があると思う。だからメンバーはそれぞれのユニットの衣装を着ていた。2回目は、楽曲の衣装であるビヨンドザブルースカイを纏って、純粋にその楽曲として歌ったこと。これらの違いを生んでいるものは、コンテキスト(文脈)だと思う。
コンテキストのある感謝祭と、ない2nd3rd
コンテキスト(文脈)のあったライブが過去にある。プロデューサー感謝祭だ。楽曲を披露する前に、感謝祭のコミュを声優が生で演じていた。
朗読にはどんな価値があるか。聴衆は、ゲームでの感謝祭を思い浮かべてからその曲を聴くことになる。たとえばアルストロメリアならば、「Bloomy!」を聴く前に感謝祭のコミュを生演技で味わうことで、「甘奈が感謝祭のコミュで悩んでいた葛藤」などを頭に浮かべる。
コンテキストのない2nd3rdなら、ダブル・イフェクトやAnniversary を聴いたとしても各々自由にイメージを膨らませるだろう。薄桃色にこんがらがってだったり、流れ星のジャーニーであったり、甘奈のG.R.A.D.だったり、甘奈のSSRのコミュだったり、それはまちまちだ。各々によって自由に受け取れるからこそ、その感想が共通認識になることはない。「あの声優のあのシーンのあの表情はあのコミュのあの部分だ!」とはどうしたって決まりようがない、それは当然だ。
コンテキストでセトリの意味が付加され確定する
しかし、曲を演奏する前に感謝祭のコミュを読まれたら、その「Bloomy!」は感謝祭の「Bloomy!」だ。コンテキストによって楽曲の意味が確定する。コンテキストによって、共通認識たりうる。もちろん、感謝祭のコミュを読まれても歌詞に薄桃色を感じるのは個人の自由だ。だがほとんどの人は感謝祭をイメージするだろう、なぜなら演奏前に声優が感謝祭のコミュを読んでコンテキストを強調しているからだ。
だからこそ、プロデューサー感謝祭の「Bloomy!」は感謝祭での甘奈の葛藤をイメージしながら鑑賞できる。それは特別な意味を持っているし、ゲーム体験を踏まえた付加価値の高いユーザー体験たりうる。ゲームをやっていない人が楽しめる声優ライブではないが、敷居が高い分思い入れのある人にとってはよりエモーションを感じられるユーザー体験になる。
シャニマスには質が高いと定評のあるコミュがあり、ほとんどのカードにはアニメーションがついているので、スクリーンを使ってそれらを使って効果的にライブに価値をつけられたはずである。だがそういった工夫はなされていない、それは宝の持ち腐れだと思う。
4thライブが正念場なのではないか
セットリストの観点だけでみても、1stや感謝祭の足元にも及ばないのが今回の2nd3rdだった。本来開催されたはずの2ndはどうなったのか、それを知る術は永遠に失われてしまった。確実にやるはずだった「FUTURITY SMILE」も「SWEET♡STEP」も、再演後には捨てられてしまった。見たかったが、その願いはもう2度と叶わない。本来の2ndは永遠に失われ、ただの3rdの前座ライブだけがこの世に残った。
おそらくシーズの次に新規ユニットは追加されないだろうし、新ユニットを追加して話題性を集めることも、もうできないだろう。だがそれでシャイニーカラーズが打ち止めかというとそんなことは全くない。Landing Pointには期待しているし、今のところコミュを楽しめている。
4thライブがもしLanding Pointに準拠するライブであれば、ユニット単独に近いツアー形式でのライブ演出が可能だろう。シャイニーカラーズの曲も増えてきたし、Landing Pointを完全にできないまでも、たとえば次のような編成で3分割できるはずだ。
これ以外の編成もありうるし、シーズだけは曲数が極端に少ないので全通させてもいいかもしれない。ユニットごとに公演を分ければ3rdのようなコピペセトリにはならないし、テーマも生まれるだろう。それに加えてライブ限定の寸劇や台本劇をやってくれたら大満足だ。
シャニマスは次のライブが正念場であると思う。結局のところ、ライブイベントがファンを繋ぎ止める役割を果たせるかは、他コンテンツより魅力的なライブを提供できるかにかかっていると思う。私は、それがコンテンツの独自性であるキャラクターや、テーマだと信じている。シャニマスには、キャクターもテーマのかけらもない2nd3rdのようなライブではなく、キャラクターやテーマを大事にした原点回帰のライブをやっていただきたい。
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主にキャラクター性やテーマのなさについて言及したもの。