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【短編小説】イッツ・ア・スモールワールド(秋ピリカグランプリ2024参加作品)

 様々な種類のドーナツが並ぶショーケースは、私の思考と嗜好を大いに惑わせてくれたが、オーダーしたのは結局、いつものオールドファッションだった。

「ホットコーヒーに少々お時間を頂きます。お席までお持ち致しますので、お座りなってお待ちくださいませ」

 店員から番号札を受け取った私は、おひとりさま用の席に座り、先ほど古本屋で購入したばかりの文庫本をバックから取り出す。

 平日昼下がりの店内。私の周りでは贅沢な時間が流れ始めた。ページをめくる小さな音が心地よく耳に届く。

「んっ?」

 5貢ほどめくった時、メモ用紙をちぎったような1枚の白い紙切れが不意に姿を現した。
 
 中古で購入した本に何かが挟まっているのは、特に珍しいことではない。栞やレシート……そういえば1度だけ個人情報がたっぷり詰まったハガキを見つけて、速やかに処分をしたことがある。

 この紙切れにも手書きの文字が書かれてはいたが、個人情報に繋がる文言は何1つなかった。

 あるのは食材の名前のみ。

 じゃがいも
 ぶた肉
 にんじん
 午にゅう

 お世辞にもキレイな字とは言えない筆跡だが、所詮はメモなので、走り書きで済ませたのかもしれない。

 じゃがいも/豚肉/人参……これを書いた人物は、カレーか肉じゃがでも作る予定だったのだろうか。両メニューの必須材料である『玉ねぎ』という文字はないけれど、これは家にあるから除外したのかも……と推測した。

 いやいや、この『主』は焦っていたようだから、リストから抜けてしまった可能性もゼロではないのでは?

「……だって『にゅう』だもんね」

 縦棒の長さ不足によって、『牛』になり損ねた文字をもう一度見つめる。

 そして笑いのツボを刺激されてしまった私は、手の平で顔を覆いながら下を向き、ククク……とこっそり笑った。

 
       ☆

 先々週の土曜日、私は3年ほど付き合っていた恋人と別れた。

 気持ちは既に冷めていた彼が、私へのトドメを躊躇っていたのは、情ではなく、単に自分が悪者になりたくなかっただけだ。

 だから私の方で幕を下ろすしかなかった。その時に見せた彼の安堵した表情は、私の脳裏にしっかりと焼き付いている。

 会社とアパートの往復が限界だったが、今日、ドライブに出かけたいと唐突に思った。多分、朝の空がとても澄んでいたから……。

 そして今、

 誰かの書いたメモが、私を久しぶりに笑わせている。

 こんな展開に一役買ったなんて、『主』は夢にも思っていないだろう。

「お待たせいたしました」

 女性店員が淹れたてのコーヒーとドーナツを運んできた。ホットコーヒーの香りが空気に馴染みやすくなったことで、季節が1歩進んだことを改めて感じる。

 私はコーヒーカップにそっと口をつけた。

「美味しい」

 とりあえず今夜は久しぶりにキチンと夕食を作ってみよう。自分だけの為に作るスペシャルな献立は、勿論カレーか肉じゃがだ。


  《終わり》(1192文字)

🌟最後まで読んで頂きありがとうございました。初参加で緊張しております😅😅😅


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