月刊コグマ#10 TOKI ha KANE nari
10月はちょうど4月から計算すると半年になる。
1年の区切りは12月だけど、4月のほうが年度の始まりで始まりっぽい。
だから、ほんとうなら半年は6月だけど、10月が半年と言ってもいいんじゃないか?
(1月から数えて6月が半年ならそれは9月だろという意見は無しね)
今回は番外編(誕生日回)を書いた後にこちらを書いているので、いつも以上にネタ切れが半端ない。
そもそも、毎月6本弱書いているんだぞ。
それをほめて欲しいな。
話は変わるが、
今自分は電車でこれを書いている。
するとだ。
電車酔いをしてしまったわけだ。
なので、いったんここでもさよならをしよう。
後々の19歳の僕に託して。
Nishi-Shinzyuku
朝。時間は11時を回る。
今、自分は新宿中央公園で勉強をしている。
周りの席には、右隣にミーティングをしているお兄さん。
左隣は子犬2匹(ポメとプードル)を連れた外国人の方。
右隣の向こうには、散歩で知り合ったのか、犬を連れた人たちがわんさかといて、座りながら話している様子が見える。
10時くらいからそこで勉強していたのだが、どうにも手が進まない。
足元を犬がクンクンと嗅いでくるし、
それがかわいくて目線を取られるし。
犬は犬で友達同士仲良くしていればいいものを。
なぜこちらにまでかまってアピールをしてくるのだろうか。
かわいくて仕方ないじゃないか。
今日は昼頃からの3、4限で英語のテストをやる予定である。
そのため中央公園で勉強していたのだが、平日のわりに来る人が多い。
すぐ傍にはスタバ。
目の前には芝生。
少し歩けば花木が咲いていて、奥に行けば神社がある。
たくさん来るのも納得の環境だ。
とても心地がいい。
奥をよく見てみると園児が先生と一緒に追いかけっこをして遊んでいる様子が見えた。
そういえば、友人に保育士を目指している人がいたっけ。
これは個人的な意見だが、出会った当初と比べると、あの子は保育士なんて柄じゃないのだが、今考えると似合っている気がする。
いい先生になりそうだな。
毎日。
毎日、新宿駅を通っていると、改めて人が多いなぁと思う。
それは本当に単純なことで、ある意味当たり前の事でもあるのだが。
パッとみただけでも、学生やスーツを着た社会人が歩いていく。
ここの中の何人が学生なのだろうか。
何人が今から会社へ向かうのだろうか。
同じ会社の人と出会うこともあるかもしれないし、元同僚や同級生とばったりなんてこともあるかもしれない。
朝はもちろん、
帰りの夕方から夜もおんなじくらいの人数が歩いている。
家に帰ったら、一人なのか。
それとも待っている人がいるのか。
そもそも家に向かっているのだろうか。
あの子は誰かと待ち合わせなのかもしれない。
そんなことを考えながら、新宿駅の地下通路を歩く。
みんなにはみんなの生活があって、まったく同じ人間は一人としていない。
けれど、駅にはそんな違う人々が一堂に会する。
僕はその光景が好きなのかもしれないな。
そろそろ時間は12時を回る。
あと1時間もすれば講義が始まる。
英語の勉強はまだ十分に出来てないし、今からお昼を食べて、すぐ大学に戻れば、まだまだ勉強の時間はあるな。
今日のお昼は何を食べよう。
そう思って中央公園を後にした。
ふと思ったのだが、
飲食店に入る自分を含めたお客さんは、「これが食べたい!」と思って、この店に入るのだろう。
つまり、感情の同期的なことになっているわけだ。
なんなら、「おいしい!」という気持ちの共有もしている。
それってなんか、面白いな。
気取るな
始めに言っておこう。
これはただの僻みのお話である。
大学生活の後期が始まって1か月。
前期よりも雰囲気の変わった人が多くいた。
ある人は金髪になっていたり。
またある人は、洋服が派手になっていたり。
…肌の露出部分が多くなっていたり。
どことなく「イキっている」感じがにじみ出ている気がするのだ。
他人の髪色や服装なんて他人の自由だし、それをここで僕個人がウジウジ言っても仕方のないことなのだが、
どうにも気になる!!
今まで黒髪だった人が久しぶりにあったらパツキンなのは、
びっくりするぞ。
夏休み明けでこんなにも驚いているのに、もし小学校や中学校の友達が染めていたら、自分はどこまでの衝撃を受けるのだろうか。
最近のことである。
大学の講義が終わり、来週の小テストのために、パソコンをいじっていると自分の反対側から複数の声が聞こえてきた。
男子2人、女子2人の計4人。
そいつらの方から
「おめでとー!!」
という声が聞こえてきたのだ。
何がおめでとうだ。
こっちは英語で頭がパンクしそうなんだぞ。
そう思っていると、更に追い打ちのようにあの歌が聞こえてきた。
「ハッピーバースデートゥーユー」
もちろんおめでたいことなのはわかる。
わかるが、どうにも気にくわない。
更には、仲間内で用意したであろうプレゼントを本日主役の女の子に渡しているじゃないか。
何大学生活を満喫しようとしてるんだよ。
何良い色で彩ろうとしてるんだよ。
プレゼントをもらったんだから、もっと喜べよ。
何が棒読みの「ありがとー」だよ。
めっちゃ喜ぶのもそりゃ違うと思うし、
貰って当たり前~みたいな雰囲気を出すのも違うと思うから、そういう「すました」反応をとるのもわかるけど!!
その時、自分はそいつらの目の前まで行って
「何、気取ってんだよ!!」
と言ってやりたかったが、さすがに非常識なのでやらなかった。
ちなみに、そいつらはもちろん髪を染めてたし、肌色が多かったりした。
先ほども言ったがべつに、染めるのは悪いことじゃないし、自分のしたいファッションはするべきだ。
だから、この話に関しては完全に自分の自己中心的な考えだろう。
褒められた考えでもない。
それはわかっているのだが、どうしても
「気取ってんじゃねぇ!!」
と言ってやりたくなってしまう。
本当に器が小さくなってしまった。
もしかしたら、気取っているのは
僕の方じゃないのか。
夢の中で「カッコいい」と言われただけで、
現実でもカッコいいと言われることを期待してしまう自分だ。
大学生という肩書きのせいで
気取っているオーラを出してしまっていたのかもしれない。
ここは自戒の気持ちを込めて一つ言った方がいいかもしれない。
オイ、大学生なりたて気分で浮かれてるやつ!
オイ、勉強が出来るからって周りを見下しているやつ!
あと、露出の多いやつと髪染めてるやつ!
気取ってんじゃねぇ!!
Potluck
そういえば、今月誕生日を迎えた。
19歳になった。
とある友人から、「10代最後の年だね」と言われて気づいたのだが、2024年に僕は20歳になるらしい。
1/2成人式をやった時(小学4年生の頃らしい)はまだまだハタチなんて先の先だ、なんて思っていたのに、気付けば10年経ってしまいそうだ。
19って途轍もなく中途半端に感じる。
だってそもそも素数だし。
始めと自分以外じゃ割ることの出来ないヤツ。
大学生という肩書きと合わせると、
大人なのか子供なのかも曖昧でわからない、
中途半端な立ち位置に似ている年な気がする。
大学生らしい年だ。
せっかくなので、今回の番外編はなぜ「Potluck」という表題になったのか、語っておこうと思う。
誕生日といえば、あなたは何が思いつくだろう。
誕生日ケーキ、誕生日プレゼント、
お祝いの言葉にあの曲。
Potluckというのは、「持ち寄りパーティー」の意味。
この意味と誕生日、とても似合っている気がする。
そんなこんなで、この単語を今年の頭に知ってから、
次の番外編では絶対にこれを使おうと前々から考えていたのだ。
ハタチになれば何が出来るだろうか。
ピンと思いつくもので行くのならば、
お酒が飲めるというのはあるだろう。
あと、たばこもある。
特に吸いたいとも思わないが。
ハタチになると、年齢的にはより大人に近づくだろう。
もう大人だと言ってもいいくらいだ。
今までずっと考えてきた「大人らしさ」とは何か
をより真剣に直面して考えることにもなるだろう。
いつまでも見た目がどうとか身長がどうとかに囚われている場合じゃないのかもしれない。
でも、やっぱり身長は気になる。
今の身長が約162cm。
でも毎日電車に乗っていると自分の身長の10cm以上は上の人なんて多くいる。
人を見上げるのだってざらだ。
なんなら、女性が僕よりも高いときだってある。
そんな時、僕のプライドは傷つくんだけど。
ハタチになったらもっと身長が伸びてるといいな。
これを今の目標として最後の10代、がんばっていきますか。
…身長って毎日牛乳飲めば伸びるのかしら。
金こそが愛
「時は金なり」って言葉、よくできてると思わない?
Time is Moneyって響きもどこかカッコいいし。
お前も時間は大切にした方がいいよ。
お金とおんなじ価値があるんだからさ。
?
もし、俺が女だったら金か愛かどちらで決めるのか?
うーん…どっちだろうな。
でも、愛はやっぱりあった方がいいだろ?
愛がなきゃ女と、しかも恋人と仲良くなんて出来ないだろうし…
愛があるからこそそういう関係って成り立つものだと思うんだよな。
だから、愛じゃないか?
いやまぁ…金も大事だけど…
金目当てでケッコンをしてる人もいるだろうって?
愛だけじゃやっていけないこともあるって言いたいのか?
お前、愛よりも金が大事だってやけに推すな。
もしかして、まだお前、まだあの子のこと引っ張ってんのか?
金持ちだったら俺のことを見てくれる。
金があれば、愛が無くてもまだついてきてくれたかもしれない。
愛が無くても、養っていける金さえあれば、信頼や尊敬は生まれたかもしれない。
だったら愛よりも金が大切だ。
いや、「金こそが愛」だ、だって?
さすがにそれは、言い過ぎじゃないか。
まぁ、俺も愛だけが正義!みたいな感覚でしゃべっちゃったからあれだけど。
金だけあってもうまくはいかない。
だからって、愛だけあっても生きてはいけない。
こんなのは綺麗事だけど、でも、両方とも成立させていけたらいいよな。
なんて、なんか柄にでもないことを言った気がするな。
じゃあ、とりあえず、まずはお前の理想に近づくために、バイトでもするか?
それともめっちゃ飛躍して会社でも立ち上げちゃうか?
そしたらさっそく応募だ!
「時は金なり」だからな!
って感じの夢をみた。
金か愛か。
仕事か女か。
まぁ、どれを選び取るかはその人の自由だし、願った結果とか欲しい結果が必ず得られるわけでもない。
どっちを得るにも努力は必要ってことかぁ。
金こそが愛。
それにしてもいい響きだな。
まとめ:出会いのゆくえ
誕生日を迎えて、たくさんの人から「おめでとう」をもらって思ったことがある。
というか、毎回これは思うのだが、
「友だち」という関係はどこまで続くのだろうか。
昔、月刊でも話したが、
友達という関係にいつまでも縛られてちゃいけない。
いつまでも、自分に、過去の友達にかまってくれるわけじゃない。
でも、いつまでも大切にしてくれると信じていた。
でもそんなことはなかったし、それはしょうがないことでもある。
それに気づいてからは、出来るだけ信じないようにしたし、もう「ふるさと」に戻りたいと思うこともなくなった。
でも、たまに連絡が来るとやっぱり嬉しい。
すると、疑問が浮かぶ。
この友達という関係はいつまで続くのか。
この出会いがどこかへ行ってしまうことはあるのか。
悲しいことではあるがもう会わないなんてこともあると思う。
会いたいと願っても会えないこともある。
でもずっと続くものはない。
必ずどこかでなくなっちゃう。
出会いのゆくえ
どこまで行くのか、どこで止まるのか。
どこで切れて、どこでなくなるのか。
いつまでも解決しない疑問だろう。
でも、どこまでも続いてほしい本心がある。
難しい。
だからこそ、大切にしたい。
10代最後の年。
まだまだ青臭いことを言っているけれど、こんな僕を許してほしい。
どこか嬉しくなって、少し自分がカッコよく見えて、笑顔になれるからさ。
来月、11月か。
何があるのかな。
それはまだわからない。
あ、そういえば来年の、もっと言えば来年”度”の成人式は愛知に来てほしいってお誘いを受けてたっけ。
まだまだ1年以上もあるし、その人にしか呼ばれてないから行くかどうか悩むけど、とりあえず候補には入れておこうかな。
時は金なり
時間は大切だし、とにかく今の生活を満喫してみよう!