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kento fukaya「『R-1』ラストイヤー、ダメだとしても攻めの姿勢でもがいてみようと思った」

ピン芸人の頂点を決める『R-1グランプリ2022』決勝に駒を進めたkento fukaya。芸歴10年以内というルールが設けられた前大会で念願の初進出を決め、2回目進出の今年はラストイヤーとなる。今年はフリップ芸をあえて封印し、新たなスタイルで挑むkento fukayaの笑いのルーツを探る。

——『R-1グランプリ』(以下『R-1』)決勝進出おめでとうございます。名前を呼ばれた瞬間、ガッツポーズされていましたね。

そうですね。去年の『R-1』は、これまでの芸の集大成みたいな感じのフリップ芸だったんですが、次もまた同じままだと決勝には行けないだろうと思って、去年の決勝が終わった次の日から、“漫談”に切り替えたんです。
この1年は、これまでとは違うカタチをいろいろ模索してきました。ダメだとしてもラスト1年。攻めの姿勢でもがいてみようと思いました。その結果、決勝進出者で名前を呼ばれたので、すごくうれしかったです。

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——芸風をガラリと変えるとは、勇気がいりそうですが……。

漫談に切り替えた当時はスベり倒していたので「やっぱり難しいな」と苦戦しましたね。漫談のほかにもリズムネタもやったし、いろいろ挑戦してはスベって……の繰り返し。なので、最終的には漫談も集大成みたいな感じにはなっているんですけども。

——決戦が近づくにつれて、緊張の度合いも上がってきているのでは。

今回はトップバッターを引いてしまって、一般の賞レースからするとトップバッターで(優勝は)正直かなり難しいと思うんですよ。なので、逆に気持ちがラクになりました。もし、いい出番順で最下位になったらすごく辛いと思うんですけど、トップバッターなら最下位でも「トップバッターだったしな」と言い訳ができると思ったので(笑)。そう考えたらリラックスできそうだし、楽しみです。「当たって砕けろ」で!

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——その勢い、楽しみにしています! そんなkentoさんですが、笑いのルーツはどこにあるんでしょうか。

どこにでもいそうな子どもだったんですけど、中学2年生の時にめちゃくちゃお笑いが好きな友だちと出会いまして、その子に「『爆笑オンエアバトル』、めっちゃおもしろいよ」って勧められて見るようになり、「なんておもしろいんだ!」とすっかりお笑いにハマりました。その子の影響で、「3年生を送る会」で友だちとコンビを組んでネタをやったりですね。コンビ名は「わさび」でした。それがまたウケて、「お笑い、めっちゃおもしろいな」とますますハマりました。

——その経験がお笑いの道に進むきっかけに?

いえ、その時点ではまだ「お笑いっておもしろいな」で終わります。でも、「変なことをしたい」という気持ちが強い子どもではありました。僕は愛知県の田舎の出身で、中学から高校へ進学する時もだいたいみんな同じ高校に行くんです。でも僕はあえて、同じ中学から4〜5人くらいしか行かない高校を選んだり、そういうちょっと変わったことがしたい性格。その高校が校則がめっちゃ厳しい高校だったんですが、僕らの学年は「おもしろいヤツが強い」というスタンスを取っていて、その厳しい校則をかいくぐっていかに人を笑かせるか、ということを探求していました。

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——校則をかいくぐって笑かす、とは?

法律を犯すとかはないですけれど、例えば学年集会で誰かがオナラをして「おい誰だ! オナラしたのは!」と先生に怒られたら、オナラをしていないのに何人か手を挙げて、先生が「どういうこと!?」と困惑する、みたいな。笑ってはいけない場面でみんなを笑わせたり、かわいいイタズラです。うちの高校は大阪ではないですが、“お笑いの魂”は宿っていたと思います。「芸人になりたいな」と思うようになったのはこの頃ですね。

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——その後、京都造形大学(元・京都芸術大学)の映画学科に進学されるんですよね。

高校を卒業してすぐお笑いの世界に行きたかったんですが、親に「さすがに大学は行ってくれ」と言われまして、それなら普通の大学よりもお笑いに近いかもしれない、と思って京都造形大学の映画学科に進学しました。その後、大学3回生の時にNSC(吉本総合芸術学院)に入るんですが、もしお笑いが無理だったら就職しようと思っていたんです。もう、保険をかける人生です。

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——大学時代には、俳優デビューも果たされたと聞きます。かなり異色な経歴ですが、詳しく教えていただけますか?

ありがとうございます(笑)。大学3回生でNSCに入ったものの、鳴かず飛ばずで「お笑いは無理かな」と考えていた時期があるんです。その時に、映画学科の講師だった山本起也監督から「映画に出てみないか?」と声をかけてもらって、『カミハテ商店』という映画に出ました。その映画がチェコのカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭というのに招待され、「こんなに無名なNSCの芸人がレッドカーペットを歩いたらおもしろいな」と思いまして。案の定、「なんだそれ?」とけっこうイジってもらえたんです。そのことがきっかけで、もう一度お笑いやってみよう、と。

——映画祭招待という貴重な経験を経てもなお、お笑いへの志は揺るがず。

やっぱり、感覚がおかしいと思うんですよね。チェコのカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭に招待されたことが名誉とかじゃなく「おもしろい」と思っている時点で。映画祭のレッドカーペットでは“招待待遇”というのがあって、S、A、B、C、Dと5段階のランクがあるんです。僕、一番いい“Sランク”の招待だったんですが、ほかにSランクだったのがモーガン・フリーマンだったそうです。ホテルの部屋を出たら、キャビアを持っているバニーガールが待っているんですよ(笑)。「あなたたちは、誰にやってるんだよ!」と思ってしまって。それを舞台でしゃべると笑いにつながるので、やっぱり考え方が“芸人側”だったんだろうと思います。

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——まさかkentoさんがモーガン・フリーマンと肩を並べる存在だったとは……。その経験がお笑いに舞い戻るきっかけになりよかったです。kentoさんといえば、まずはフリップ芸が思い浮かぶのですが、どういうきっかけで誕生しましたか。

もともとはコンビを組んでいたんですが、解散後は自分のやりたいことだけをやろう、と。もともと絵でボケるのが好きだったので、フリップ芸をはじめました。でも普通にやってもおもしろくないし、単純にフリップがデカかったらおもしろいな、芸人で一番デカイフリップを使おう! と、駅の電光掲示板くらいの大きさがあるフリップを使うようになりました。最初はフリップが出てきただけで「デカイな!」とウケていたんですが、今はすっかりウケなくなってしまったのが辛いです。しかも、NSCの先生方が「フリップ芸をやるならkento fukayaくらい大きいフリップでやれ」と教えているらしく、後輩のフリップもどんどんデカくなり、最悪の流れです(笑)。唯一無二だったデカさがスタンダードみたいになってしまって。

——開拓者の苦しみですね(笑)。

別に、ずっとデカいだけで行くつもりはなかったので、小さいフリップも使うんですよ。でも、小さいフリップでやると「kento fukaya、サボってるんじゃないか」というお客さんの声を漏れ聞いたこともあるので、悪循環にはなっているんですよね……。最初はやっぱり「みんなと違うことをやろう」というのは変わりありません。僕の原点ですね。

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——そして今、『R-1』の決勝に行くために漫談にシフトチェンジされましたが、数あるピン芸の中で漫談を選んだのは?

今の時代、映像や小道具など、いろんなモノを使うことが多くなったので、逆に漫談に行ってみようかなと思いました。漫談できるとかっこいいし、マイク一本で笑わせられるし、営業も増えたりするかな? とか考えて。

——そして“キモ企画”と呼ばれる企画ライブ『kento fukaya presents』も話題で、着々と自分のスタイルを築き上げてらっしゃるようにお見受けします。

それもこれも、昨年『R-1』の決勝に行けたおかげです。僕はポップな雑魚キャラみたいな見た目なので、ネタの説得力がなかったと思うんです。やっていることは昔から変わっていなくて、芸人さんたちは「おもしろい」と言ってくれるんですが、スタッフさんには全然響いてなかったです。でも、『R-1』の決勝に行けたことで説得力が生まれました。いくら変なことをやっても「でもコイツはネタで『R-1』の決勝に行っているから」と安心して見てもらえる。それで、やりたいことがやれるようになってきました。

——クセが強めの内容が多いですが、これはフリップ芸や漫談とはまた違うところで生まれているんですか?

今までやってきたフリップ芸や漫談は賞レース向けですが、最近は自由にやるネタも増え始めていて、「なんでそんなところをフィーチャーするんだ!?」というところですよね。それもこれも先ほど話した映画祭(カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭)につながるのですが、映画祭に行ったらわけのわからない角度からチヤホヤされて、それがおもしろすぎて。その“わけのわからない角度”を集めたのが『kento fukaya presents』なんですよ。見ている人をいい意味で「なんやねん、これ!?」と思わせたいんです。
でも、あまりにも意味がわからない企画が多いので、それを補うために見せ方は丁寧にしています。YouTubeで予告動画を作ったり、入りやすい風にはしているんですが、やっていることは意味がわからない、という(笑)。

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——これまでの経験を踏まえて、今のkentoさんが芸人になりたての頃の自分に伝えたいことはなんですか?

例えば『M-1グランプリ』で優勝するとか、思い描いていた芸人像ではないですけれど、すべての経験のおかげで今のkento fukayaという芸人になれているぞ、と。たとえばコンビ解散という経験も、人の弱さみたいなものを知るきっかけになったし、人間的に成長できました。それに、大阪の吉本でよかったなと思います。回りの芸人、スタッフさん、お客さんのおかげで、今やりたいことができるし、自分でも脂が乗ってきたなと感じています。
泥水をすすっていた時間が長いからこそずっとお笑いで鍛えてきていて、やっとその頃から一緒にやってきたニッポンの社長さんとか、ロングさん(ロングコートダディ)がいい勢いでやっていますし、マユリカ、滝音、ビスブラ(ビスケットブラザーズ)も、少しずつ活躍できているというのがすごくうれしいです。

——これからもっと楽しい時期に突入しそうですね。

そうですね。僕自身も『R-1』があるので、ここ数年はずっと賞レース用のネタを作ってきたのですが、賞レースから開放されるとなると、これからネタもいよいよ本当にただやりたいだけのやつがやれるなとワクワクしています。

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kento fukaya プロフィール
2010年NSC大阪33期生。
趣味はさえない似顔絵、映画、ざる蕎麦。特技は架空の人物を描いてその人が言いそうなセリフを言う、書道。

■撮影協力
竹ちゃん(大阪府大阪市中央区瓦屋町2-10-25)

Kento fukaya INFO

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取材/中野純子
撮影/渡邉一生
企画・編集/いとう



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