芸歴13年目にして“全部、変えた”ヘンダーソン。その決意が新たな道を開くきっかけに
いま、ヘンダーソンがアツい。
芸歴13年目にして昨年、初めて『M-1グランプリ2021』敗者復活戦に駒を進めたと思ったら、その年の暮れに放送された『オールザッツ漫才2021』の若手芸人によるネタバトル「フットカットバトル」にて見事優勝。
確変に入った彼らに一体何が起きているのか、そしてこれまでと何が違うのかを読み解く。
『M-1』敗者復活と『オールザッツ』優勝、勢いづいた2021年末
——遅くなりましたが『オールザッツ漫才2021(以下:オールザッツ)』フットカットバトル優勝おめでとうございます。その後の反響はいかがでしたか?
中村:とくに芸人さんによく「おめでとう」と言われました。僕ら、『オールザッツ』で優勝するコンビっぽくはないので、ちょっとびっくりされましたね。
子安:『オールザッツ』といえば、芸人ウケというか、ちょっとコアな感じの方が活躍してはるイメージがあって、自分らはその感じではないかな、とうっすら思ってたんですけど、優勝できてめちゃくちゃうれしかったです。
——とくに子安さんは、両手で顔を覆って大喜びされていました。
子安:ちっちゃい頃から見ていた番組なんで、ほんまにうれしかったです。
中村:そらもう、ずっと見ていた番組ですもんね。昔から毎年、ビデオにも撮って見ていました。
——『オールザッツ』の前には『M-1グランプリ』の敗者復活戦にも出場されて、その勢いもあったのでは、とも感じました。
中村:『オールザッツ』のフットカットバトルに出場するにはネタの動画審査みたいなのがあるんですけど、その時は漫才を1分にして送ったんです。それが、6年ぶりくらいに受かりまして。せっかくの『オールザッツ』やし、漫才をするのもな……と思ってコントに切り替えました。
——漫才をする予定が、「フィジカル伊藤」のコントに切り替えたと。
子安:短い1分ネタですし、今までの『オールザッツ』の傾向を考えたら漫才よりコントのほうがいい方向に転ぶかな、というのもありました。
中村:最初は『M-1』でやったようなネタを、『オールザッツ』で1分にまとめてやろうと思っていたんですが、結果的にコントに切り替えてよかったです。でも、今思えば『M-1』の敗者復活戦からの流れがもしかしたらあったかもしれません。
——『M-1』にしても、『オールザッツ』にしても、これまでのヘンダーソンさんとは何かが違う……という変化を感じました。改めて、まずはお二人のお笑いの原点から教えて下さい。
中村:お笑いは小さい頃から好きですが、影響を受けたのは小学生の頃に見た『ダウンタウンのごっつええ感じ』です。お笑い番組を全然見ない父親が、唯一見ていた番組で、父親がめっちゃ笑っていたのを覚えています。その後、中学で『吉本超合金』に影響を受けまして、baseよしもとの芸人さんがめちゃくちゃ好きになって『?まじっすか!』もよく見てました。僕らもヘンダーソンとして最初の舞台に立ったのがbaseよしもとだったので、「最初の夢は叶った!」と感激したのを覚えています。
——憧れの劇場が初舞台なんて感慨深いですね……! ところでNSCに入ったきっかけは何だったんですか?
中村:『M-1』にも憧れていて、高校3年生の時に文化祭で同級生と漫才をしたんです。でも、むちゃくちゃスベりまして……。それが悔しすぎて、小学校の同級生と一緒にNSCに入りました。
——そんな痛い思い出が……。子安さんは?
子安:小学生時代に『ダウンタウンのごっつええ感じ』は見ていましたが、その頃の僕は委員長をするようなタイプで、勉強熱心で塾に通いながら水曜日は水泳、日曜日はサッカーを習いにいく日々でした。小6で中学受験をして大阪教育大付属池田中学校に入学し、その後も勉強漬けの毎日でしたが、中3の時に『M-1』が始まって、これがめちゃくちゃおもしろかったんです。
——勉強に勤しみながらも、お笑いはずっと心の中に。
子安:そうです。それで、中学校で落ちこぼれちゃったので自衛隊の学校に行くことになるんですが、その頃はほぼテレビが見られなくて、かろうじて見ていたのが『エンタの神様』と、休暇中に実家に帰って見ていた『M-1』でした。
——そんなお忙しい日々の中で、芸人になろう!と決意したきっかけは?
子安:やっぱり、『M-1』ですね。「出てみたいな」という憧れがふつふつと湧き上がりまして、自衛隊を辞めてお笑いの道に進みました。その頃、憧れていたのがフットボールアワーの後藤さんです。
——NSCは別々に入学されていますが、お互いの存在は知っていたんですか?
中村:知ってました。氷川きよしさんにめっちゃ似てて、「男前やな〜」という印象でしたね。
子安:クラスは全然一緒じゃなかったけど、僕も名前だけは知ってました。NSC在学中に、東西対抗戦みたいなイベントがあって、その時初めて、(中村が組んでいた)風神雷神の漫才を見て、「漫才、めっちゃうまいな!」と思ったのを覚えています。
——では、ヘンダーソンを結成するのはどのタイミングで?
中村:NSCを卒業してすぐに風神雷神を解散して、その2〜3カ月後、同期の酒井(孝太)とセンチメンタルというコンビを組むんですが8カ月で解散し、同じ時期に子安さんが組んでいたコンビも解散したんです。子安さんはボケ担当やったんですが、「ツッコミをやりたいらしい」という噂を聞いて。僕は自分の顔が薄いから、コンビを組むなら顔が濃い人と組みたいな、と思ってまして。それが一番デカかったです。
——中村さんから声をかけられた時、子安さんは?
子安:相方とは同期は同期なんですけど、グループが違ったのでメシに行ったこともなかったんです。でもある日を境に、バイトから帰ってきたら僕が芸人仲間とルームシェアしている家におる、みたいなのが3回くらい続いて。「なんでやろ?」と思ってたら、「1回(コンビを)やってみようか」と誘ってくれたんです。その直後に、相方が当時やっていたブログで「コンビ結成しました!」と大々的に宣言したので、それを読んで「あ、完全にコンビ結成したんや」と確信しました。
——子安さんが帰ってくるのをシェアハウスで待っていたなんて、中村さんかわいらしいですね。
中村:そんなんやったかなぁ?
子安:同期で仲がいい女芸人がいて、そいつを介して家に来てくれてましたね。
「うまいけど、おもしろくない」と言われ続けて13年
——2008年からコンビを組み、ヘンダーソンというコンビのスタイルが確立されていくと思うんですが、それはどんな道のりでしたか?
中村:ずっと漫才をやってきてたんですが、「漫才うまい」って言われるだけのコンビでした。僕が器用にボケて、子安さんがベーシックなツッコミをして。なので、劇場に入ることはできるんですけど、オーディションで落ちたり受かったり、の繰り返し。で、「石焼きイモ」のネタで仕事が増えるようになって。
——「石焼きイモ」のネタがブレイクしたのは2015年頃でした。
中村:そうです。でも、歌ネタの人気って1年ほどしか続かないもので。すぐに仕事がなくなりました。なんと言うのか……まわりの芸人さんや仕事の関係者の方に、なかなか「おもしろい」って言ってもらえなかったです。そのうち劇場人気もどんどんなくなっていって。それで、「ここはもう、全部変えよう」ってなりました。
——「全部変えよう」とは?
中村:僕は“ノリツッコミ”が好きやったんで、自分でふって自分でボケて自分でツッコむ、という、今の漫才のカタチにした、みたいな感じです。
——そのネタが、『M-1』敗者復活まで勝ち上がったり、『オールザッツ』の動画審査合格につながるんですか?
中村:そうです、そうなんですよ。
——すごい勇気だと思います。これまでやってきたことを全部、変えようというのは。
中村:すべて変えたら、あからさまに周りの反応が違ったんです。同期の見取り図も「あのネタ、いいな」と褒めてくれたり、今まで言われたことがないようなことを周りが言ってくれるようになりました。「今年、ヘンダーソンは『M-1』あるんちゃうか?」みたいな。それで、実際に『M-1』の予選に出た時に、明らかに今までとはまったく違う手応えを感じたので「これはもしかしたら、いいところまでいけるかも」と感じました。
——辛酸を嘗めていた時代がそんなに長かったとは。
中村:去年の『M-1』前までそんな感じだったので、実質13年間、ずっと言われ続けていました。
「ボケ・ツッコミ・子安」という新しい漫才のカタチ
——子安さんは、中村さんの葛藤や、「全部変えよう」という心境の変化をずっとそばで一緒に感じてこられてきたわけですか。
子安:そうですね。僕が全然器用じゃないから、やりたいことができないという話はよくしていました。それが本当に申し訳ないと思いつつ、僕はフットボールアワーの後藤さんに憧れ切っていたので、「ツッコミでいきたい」という思いが強かったです。でも、もうええ歳にもなってきたし、このままでは打開できない、という危機感はありました。そんな時に相方が作ってきてくれたノリツッコミのネタがめっちゃおもしろかったし、これまで見たことないネタやったんです。なにより、まわりの反応がガンガンに変わったので、スッと受け入れました。
——ツッコミにこだわっていた子安さんも、変わる決意をされたんですね。
子安:僕は今の漫才のカタチでは、ツッコミではなくなりました。かといって、何の役割かは僕自身もあんまりよくわかっていないですが。
中村:今のヘンダーソンは「ボケ・ツッコミ・子安」という感じですね。子安という、ひとつのジャンル、というか……。子安さんは無理せず、が一番いい。
子安:最近、相方がよく言ってくれるんです。「自分らしくいてくれ」って。
中村:先輩にもよく言われるんです。「ボケとツッコミはお前がやって、子安は子安という役割で」って。子安さんはありのまま、というのが一番大事やと思うんです。
——ありのままの姿が、今のネタにフィットするんですね。
子安:ちょっと猟奇的なセリフとか所作があるんですけど、僕的には「オレってこんなんか!?」と思うんですが、ネタを袖で見ていた芸人が「めっちゃお前やな」って言ってくれるので、相方が客観視してくれているんだと思います。
——いいところを引き出してくださっているんですね。
子安:いいところかどうかわからないですけど(笑)。とくに猟奇的なところはそう言われます。
——ついに見つけたスタイルで、これからは突き進む決意を。
中村:はい、今はこのスタイルで。僕ら、『M-1』に挑戦できるのがあと2回しかないので、どれだけ通用するか。おかげさまでNGKの本出番も出演させてもらえるようになり、大きなきっかけができた漫才なので大事にしていけたら、と思います。
——もし今、過去の自分に声をかけるなら、どんな言葉をかけたいですか?
子安:「身の丈に合っていないことをしようとすんなよ」といいたいです。本当にその言葉に尽きる。憧れは憧れでいいけど、無理なものは無理やぞ、と。
——それは、フットボールアワー後藤さんに憧れていた自分に。
子安:あの方も、もともとはボケで後々ツッコミになる。そこだけで「一緒や!」ってテンションが上っていた自分がいるんです。「そんなん、何も関係ないぞ!」といち早く言ってやりたいです。
——奥深い言葉です。では中村さんは?
中村:NSC時代の自分までさかのぼったとしたら、「結構、苦労するで」って。NSCの願書に“目標”という欄があるんですが、「ダウンタウン以上」って書いていて、“特技”の欄に「お笑い」って書いたんです。僕、結構トガッてたんです。自己評価が高くて、「オレは絶対に1年目で売れる」と思っていたので、「そっち側の芸人じゃないよ」と言いたい。今も「ダメだなぁ〜」というギャグをやっているんですけど、あの時の自分から考えると自分がイジられる側になるとは想像もしてなかったです。ずっと、イジる側の芸人やと思っていたので。
——今や、よしもと漫才劇場も後輩が多いと思うんですが、そんな中、きちんと後輩たちにイジられているようにお見受けします。
中村:もう、1年目の後輩にもイジってほしいな、くらいに思っています。だからその分、気さくにしゃべるように心がけています。緊張させる先輩にならないように。
——優しい先輩ですね。13年間に渡って悲喜こもごもともにしてきた2人、思い出の場所も多いと聞きます。中村さんが「思い出のお店」で挙げていた「居酒屋おだし」はどういった思い出がありますか?
中村:僕のバイト先だったお店なんですけど、子安さんと2人で飲んだこともあります。
——コンビ2人きりで飲みに行かれるのは珍しいですね。
中村:2回ほど2人で飲みに行ったことがあって、そのうちの1回が「居酒屋おだし」でした。「飲みながらネタ合わせしよう」ということから始まって、「おだし」で、もちろんベロベロになって何もできなかったんですけど(笑)。
——ほか、子安さんからは「相方がアルバイトしていた駐車場」と。
子安:相方がバイトしている時に、僕がそこに行ってネタ合わせしていて、その時にできたのが「石焼きイモ」のネタでした。そういう意味でめちゃ覚えていますね。
——最後に、これからのヘンダーソンのプランを教えてもらえますか?
中村:僕ら、まだ「石焼きイモ」の印象が強いと思うので、やっぱり漫才師のイメージが付くように、いろんな劇場で漫才をバンバンやって、ちゃんと「漫才師」として認識してもらいたいですね。
子安:ネタを書いていない側がこんなん言うのもアレですけど、『M-1』の決勝に行きたいです。僕、準決勝の時に負けて泣きまして、「負けて泣くんかい」と自分でびっくりしました。だから、めっちゃ行きたいんです。
■撮影協力
居酒屋おだし(大阪府大阪市中央区東心斎橋1-15-2 松村ビル 1F)
■ヘンダーソン プロフィール
中村フー(右)と子安裕樹(左)のコンビ。
中村の趣味は絵、お酒、パチンコ、スロット、カラオケ、ファッション。特技は歌、 人差し指でボール以外なんでも回せる、ネガティブ。
子安の趣味はサッカー、アニメ。特技は自衛隊体操、ホフク前進、自衛隊都市伝説。
2021年 ABC「M-1グランプリ2021」準決勝進出
2021年 MBS「オールザッツ漫才2021」優勝
ヘンダーソンINFO
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取材/中野 純子
撮影/渡邉一生
企画・編集/いとう