令和喜多みな実・野村尚平 写真小説『神さんの診療所』
9月だか10月だかはもう夏とは違うだろう、どうしてこうも暑いんだ。手書きの地図に書かれた駅に着いて、指示通りの停留所のベンチに座って一時間が経つ。向かい側の金物屋の婆さんと目が合ったまま同じく一時間ということになる。
「色男、何してる」
「バスを待っているんです」
童話の悪役みたいな大声で婆さんが笑った。ゆったりとこちらに来て、指を差した時刻表の下には小さく「廃止」と書かれていた。何も言わないで僕のメモ書きを見てまた指を差すその先に大きな青い屋根の建物が見える。緩やかに、でも確かに昇るその坂は歩いて30分はあるだろう距離だ。もうとっくに着いていたのか。まだ笑いを引きずる婆さんは店へと戻る足取りがどうも重い。客は来るのかと訊ねたら滅多なことで来やしないと言う。お昼を過ぎたら迎えに来ると告げたら驚いた様子だった。
「兄さん、ペンキ屋さんかね」
伸び切った髪と髭面見てそう思ったのか。自分の風体で職業を言い当てられたことがない。
青い屋根の建物は煉瓦塀に覆われ、蔓が巻き付いて人の出入りが無さそうな佇まいだ。庭の草を引き抜く初老の男性がこちらに気付いて大声を上げる。
「神(かみ)さん!あぁっ!」
そのままひっくり返るものだから慌てて建物の中に運び込む。
「歳には敵わないね」
「その前に、バスが廃線になってましたよ」
「うっかり伝え忘れて、電話しようと思ったんだ」
「ライン一つ入れてくれれば」
眉を顰めている。ラインが分からないらしい。
「あと、神さんと呼ぶのを止めてください」
こちらの言葉に耳を貸さず電話で話している。相手の怒鳴り声が電話越しに伝わったかと思うと扉が大きく開いた。
「この爺さん、何で電話に出んの!」
「草抜きよったんよ、神さんがいらっしゃるから」
「だから神さんってのは...」
「あなたが神さん!」
田舎の人はもっとゆったりしていると思っていた。大らかで、相手の話を安らかな顔で聞くものだろうと。初日から大きく裏切られた。
このお二人はご夫婦で駒田さんという。ご主人は役場にお勤めで、「地域活性」何たらという長い名前の部署を任される偉い人らしい。奥様は村の組合で初の女性組合長らしく、いつも忙しなく走り回っている。この村、集落では長らく医者不足で頭を抱え、加えて自治体から予算が下りないとのことで数年前に唯一の診療所は閉鎖。村民の多くはバスを乗り継いで市内の病院を目指す他なく、そのバスまでもが廃線となった今、立ちあがろうと有志によって招集。白羽の矢が僕の頭に刺さった。こんな僕に。
「ところで神さん、もう準備はええんか」
僕が訊き返す前に外が騒がしいことに気付く。扉の向こうには、大勢の村民が列を成して待っていた。駒田さんが10時には開けると車で宣伝して回ったらしい。パチンコ屋の開店のような騒がしさで診療所は溢れ、落ち着いた頃には昼の神2時を回っていた。看護師のフォローも無しに応えた自分を褒めてやりたかった。
「お話にあった看護師の方は...」
「そう言うたら看護婦さん、」
「あんた今は看護師て言わんと」
駄目だ、少し気を緩めると二人の会話に入る隙間が無くなってしまう。僕は必死に声を出したが間に合わなかった。漫才を見ているようで夫婦とはこういうものかと変な感心をしていた。
「そういえば、停留所の向かいにある金物屋さん」
「あぁ、天野さんね。あそこのお孫さんよ、看護婦さんてのは」
だから看護師だと続ける奥さんを背中に感じながら診療鞄を持って坂を下りた。確かに看板には「天野金物店」とある。軒先で朝の婆さんと、若い娘さんが談笑している。
「あれ、ペンキ屋さん」
「僕ね、ペンキ屋じゃないの。そこの診療所で...」と話す途中で、娘さんが大声を上げる。遅刻だと騒ぎ坂を大急ぎで駆け上がろうとするのを見るに、彼女が看護師か。遅刻の範疇はとうに超えているし、まずそれよりも婆さんだ。
「歩きにくそうだね」
「こん歳になるとね、どこもかしこも悪いもんだ」
そう言って立ち上がるが、やはり一歩目の踏み出しに時間がかかっている。
「あれはお孫さんか、名前は」
「名前...」
「天野みさき言います!神さん先生、宜しくお願いします!」
また一人、神さんと呼ぶ人が増えた。もう正す力も残っていない。
「そうそう、みさき」
婆さんが貧血を起こしたのかフラフラするもので、おぶって診療所に戻った。
「iN...」
駒田さんが読みづらそうに黒板を見つめる。頭の上の眼鏡には気付きそうにないし教えてあげようとも思わない。
「iNPH、特発性正常圧水頭症の可能性があります」
何らかの原因で頭の中に出来た水泡が脳を圧迫、歩行障害や認知機能の低下が見られるが加齢のそれと混同されて見逃してしまうことがある。専門の脳神経外科に行くことを決めてその日は入院となった。
夜になって、天野さんは婆さんの傍から離れようとしない。
「早うに親失くして、私を引き取ってくれて...専門学校まで入れてくれたんです。まだ何も返せてない、どうして気付かなかったんだろう」
悔いは次の患者への気付きに回せ、恩師の言葉を偉そうにかけた。
突然の大雨、台風、何とか夜が明ける。婆さん搬送しよう思たら橋が崩落、市内に行けない。婆さんの容態が急変、一刻を争う。男手で担架を使って街まで運ぼう作戦。駒田さんの案内で村で唯一の強そうな奴んとこ行く。愛想悪い。協力しない。喧嘩。何か急に協力してくれる。婆さん無事。良かった。村戻る。みんなめっちゃ歓迎。看板が出来たと見せられる。
「神さんの診療所」と書いてる。ジンと読むと怒るが誰も聞いてない。
「この村のみんなにとって、私にとって、先生は神さんです」とみさきが言う。拍手。ところで先生、それと言われて見たらズボンにベンチのペンキがついてる。みんなめっちゃ笑う。一緒に運んだ男だけ何でかまた機嫌悪い。多分、後で仲良くなる。川眺めてる。これからここで住むんかぁ顔。部屋戻る。写真。綺麗な女。多分もうこの世におらん。何で田舎の診療所に来たんか。急な回想、辛そうな過去、意味深な顔、主題歌。
■令和喜多みな実プロフィール
野村尚平(右)、河野良祐(左)のコンビ。
2008年結成。野村の特技はギター/ベース。河野の特技はボイスパーカッション。
2019年 MBS「オールザッツ漫才2019」優勝
令和喜多みな実INFO
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著者/ 令和喜多みな実・野村尚平
画像提供/一般の方から
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