バレンタインkncg
バレンタイン、それは世間が浮き足立ち、甘い匂いが漂う季節。俺にとっては気恥ずかしさもあるけど、どんな感情よりも憂鬱さが勝るイベントの1つだ。
学生時代、毎年紙袋いっぱいのチョコを貰って帰るのは流石にしんどかった。プロになった今は直接渡されることは無いが、個数は昔よりも増えたので、食べきれないのが申し訳なくなる。
わざわざどうして俺にチョコを……。
いつもそう考えながら受け取ってきたが、まさかこの歳になって、自分がチョコをあげたさにうずうずすることになるとは思うまい。
「あ〜今日ってバレンタイン…だっけか。」
國神はそう言いながら街を見回す。
今日はテレビ局での収録に一緒に呼ばれ、この後飯を食おう、という話をしていた。
しかし、いざ街に出ると見渡す限り2人組で歩いている男女ばかり。
若干アウェイな気分になる。
「マジでカップルばっかじゃん。飯どうする?これレストランとかは埋まってそうじゃね?」
「確かに。牛丼とかガッツリした飯じゃねえと、席埋まってそうだよな。」
「あ〜もう牛丼で良くね?俺並ぶのめんどくさいし。あとお腹すいた。」
「お前急に雑になるよな…。まあいいけど。」
牛丼屋に着くと、店内は空いており、角のカウンター席に2人で腰掛けた。
注文をするなり、すぐに運ばれてくる牛丼。
汁だくのご飯と牛肉に舌鼓を打ちながら頬張っていると、外を歩いている男が、隣を歩いていた女からチョコを渡されている姿が見えた。
本当は俺もチョコを渡そうと思って、コートのポケットの中にはチョコレートの箱が入っている。
つい、世間の浮き足だった雰囲気に影響されて買ってしまったのだ。
國神、喜んでくれるかな、こっちの方がいいかな、収録で会うし、その後渡せばいいよな、なんてあれこれ考えて選んだチョコ。
バレンタイン当日になっては、街の様子を見て、男からチョコを貰っても困るよなと渡すことを諦めてしまったのだが。
今隣にいるし、渡せば良かったかな。いや、でもここ牛丼屋だぞ。もうこれ渡すタイミング無いって。あ〜後で後悔しそう。でも渡すのもな〜
「あのさ、千切。」
「んえ?何。」
あれこれ考えている途中で、神妙そうな國神に急に話しかけられて吃る。
「今日これ渡そうと思っててさ。」
そう言った國神はコートから小さな箱を取り出した。
「え…チョコ?」
「やっぱ柄じゃね〜と思ったんだけどよ、せっかくだし渡してえなって。」
ここじゃ情緒もへったくれもねえな、なんて頭を掻きながら気恥ずかしそうにはにかむ。
本当にこの男はずるい。
「……俺も用意してた。」
「マジで!?」
コートから小箱を取り出すと目を輝かせる國神。
「貰えると思ってなかった…いやちょっとは期待してたけど。サンキューな!」
向けられた笑みを見てつい、目を逸らしてしまう。
「こんなことなら牛丼屋入るんじゃなかった…。」
「牛丼も美味えし良いだろ。てかお前が牛丼って言ったんだろうが。」
「来年はちゃんと良い店予約しといて。」
「わーったよ…。って予約すんの俺かよ!」
たわいもない話をしながら、牛丼を食べ終わった俺たちは帰路に着く。
國神と別れた駅のホームで、貰った小箱を開ける。中には可愛らしいチョコが入っていた。
「ピンクにハートって…。」
これを店で買う大男を想像して笑ってしまう。
幸せな気分に包まれながら、俺は、今日やりとりを一つ一つ思い返す。
来年も、なんて柄にも無いことを言ってしまったのはこの浮ついた季節のせいだろうか。今はただ、2人で笑いながら喋っていられるこの時間が尊い。明日も明後日も一緒に笑っていたい。できればずっと続きますように。
そう願いながら口にしたハートのチョコは、花の蜜のようにほんのりと甘かった。