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日本人は天皇を中心にして皆な親戚なんや。世が乱れた時にはスサノオが現れるんやて。期待しよか。

 今日は日曜、比較的時間的余裕があるので、早めにアップできるかな?と思てましたが甘かった(笑)。情報を仕入れるのに、あっという間に時間が、、、。ま、ソースがいっぱいあるのは有難いと思うことにしましょう。

 いつも時事ニュースに流されがちですが、今日はいつも書きたいと思っていたことを書きます。宮崎正弘さんの他に私は伊勢雅臣さんのメルマガ「国際派日本人養成講座」も見ています。タダです(笑)。今日は、No.1403 「神々の祭祀」は日本国の根幹 ~ 寺田恵子『日本書紀 全現代語訳+解説 <2> 建国と神々の祭り』でした。

 私がヘタな紹介を書くより、リンク先でお読みください。よろしければ受信登録をされると、毎週日曜に配信されるようです。古事記・日本書紀を軽んじる今の教育界は腐っていますね。でも伊勢雅臣さんはそんなこと(「今の教育がー!」)より、楽しく面白く学べる場をいっぱい作ってくれてはりますね。

 もう一日中でも勉強していたいもんです(笑)。今日のテーマは「欠史八代」、サヨクのアホ学者が、実在したかどうかも疑わしい時代、みたいに貶している時代の話です。花子さんの質問に、伊勢雅臣さんが答える形で話が進みます。

花子: 「欠史八代」って、何ですか?
伊勢: 「歴史を欠いた8代」という意味で、第2代の綏靖(すいぜい)天皇から第9代の開化天皇まで、基本的な情報のみ、すなわちお名前や父母の系譜、妃や皇子・皇女、崩御された時の年齢、御陵などの情報のみで、他の天皇に見られるような出来事の記述や、歴史的な物語、歌などが記録されていないので、こう呼ばれている。

 この「欠史八代」で歴代天皇は、日本(大和)という国の基礎を、数百年かけて築いてきはったわけです。その原理を、上の本の中で寺田惠子さんはこう書いてはります、と。

古代日本には、女性がその土地の神を祭り、その地の祭祀を代表するという習俗があり、外からやつて来た男性がその土地を支配する場合、その地の女性と婚姻することによつて、宗教権、祭祀権をその身に融合したと考えられています。[寺田、p77]

 これこそが、日本という国が最初から、外国で一般的な「支配=被支配」とは違う関係で築かれてきた原理なんですね。

 天(天つ神)の血筋をもつ天皇と大地(国つ神)を代表する女性との婚姻は、豊穣をこの地にもたらすもの、すなわち「聖婚」として大切に考えられてきました。[寺田、p131]

 ひえーー。だからこそ日本はずうーーーっと「和」を大切にして来たんですね。つまりは各地にバラバラにおった豪族と姻戚関係を持つことで、長い年月をかけてみんなが親戚になるということですね。そしてそれが全国に広がって、日本はみな親戚どうし、となったわけです。うーん、単純すぎ?(笑)。それでええやんか。

 とまあ単純に喜んでたら、今日(1/12)の宮崎正弘さんの「国際情勢解題」第8594号では執行草舟(しぎょうそうしゅう)さんの『永遠の三島由紀夫』(実業の日本社)を取り上げてはりました。執行は本名ですが、名は祐輔さんです。ペンネームの「草舟」の意味を今回初めて知ったそうです。宮崎さんはこの本にめっちゃ感激しはったようです。今日の書き出しです。

 精神を揺さぶる衝撃と戦慄の書である。
 世に溢れる三島由紀夫論、文学論、評伝、追想記は数百冊。小論は大学紀要に掲載されたものも含めると数千編に及ぶだろう。外国人が書いた評伝も数冊ある。
通俗的な評伝を含めてこれらの多くを評者(宮崎)も読んだつもりだが、本書は類書のなかで、並外れた異色作、というより「運命の書」である。
評伝というより魂の記録である。

 私ごときが紹介するのもおこがまし過ぎて恥ずかしいんですが、今日の長い長い宮崎さんの記事から、私が「よっしゃ!」と思た部分だけ、コピペさせて貰います。

 日本の歴史の根源を議論したと執行が回想する。
 それはスサノオであった。
「スサノオの現生」は「縄文時代とその精神の復活」であり、「これからの日本ひいては人類は縄文的な霊性文明にもどる」(中略)「未来社会というものは、ある意味、古代社会の復権なのです」。つまり「魂が物質を完全に支配する文明」であり、天孫降臨なのだと強調するのである(110p)。

 えっ、スサノオ?縄文時代?日本ひいては人類?古代社会の復権?天孫降臨?

 三島は言った。
「天孫降臨についても、世の中が乱れてきたから、それがもう一度起こると言われた。つまりノアの箱舟の神話と同じ考えです。天孫降臨とはつまりは縄文文明が下りてくる」。
 事実、古代人は草の舟で南米大陸まで渡海した。そうか、執行氏(本名は祐輔)のペンネームの「草舟」は、ここに由来があるのか。

 そして「葉隠」の話に移ります。さらに

 折口は戦後すぐにこう詠んだ。
「日本の国 つひにはかなし すさのをの 昔語りも 子らに信なし」
 武士道は縄文時代に日本で誕生し、その象徴をスサノオとするわけで、「人間は人間の初心に戻ってこそ、未来へ向かうことができるのだと。(しかし)現世は古代を忘却した最も悲惨な状況の極みにある。だからこそ、誰か独り立ち上がってスサノヲのごとく新たな天孫降臨を実現しなければならない」と三島は言った。(118p)

 ひえーー、付いて行かれへんーーと言いながら、宮崎さんの最後のところをコピペさせて貰います。三島由紀夫の『文化防衛論』からの引用からです。

「日本における反逆や革命の最終の倫理的根源が、正にその反逆や革命の対象たる日神にあることを、文化は教えられるのである。こここそは八咫鏡の秘義に他ならない。文化上のいかなる反逆もいかなる卑俗も、ついに『みやび』のなかに包括され、底に文化の全体性がのこりなく示現し、文化概念としての天皇が成立する」
なんだか、生硬な大学生の卒論のような、独りよがりの文章だけれども、ひらたく解釈すれば、スサノオを基点とする武士道の倫理は天照大神にあり、三種の神器のウケヒにあって、この祭祀を主催し文化の核心に位置するのが天皇制であると言っているのである。
本書は浩瀚で読むのに時間がかかるが、その思惟する時間こそが貴重である。

 出た!「八咫鏡」。そうかあ、日本という国は、乱れた時にはスサノオが現れるんや、と思いたいです。つまり、現代のスサノオよ、出で来たれ、という願い、祈り、になるんでしょうか。いや、きっと現れるんや、と期待することにしましょう。

 あ、そして今年は三島由紀夫誕生百年やそうです。宮崎さんたちが主催するイベントが生でタダで見られるようです。

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