戦後日本を分割から救ってくれた英雄、樋口季一郎に光を当てよう。今、日本には軍人が必要なんや。
私は「覚醒」してもう、10年ぐらい経つと思います。恥ずかしい話、一応「日本現代史」を専攻してたというのに、「覚醒」前は、樋口季一郎のことは何も知りませんでした。今日(8/2)の産経、正論の「歴史に隠れた樋口中将の功績」(ノンフィクション作家・早坂隆)ですね。
ようやく光が当たり始めた、というわけです。第二次世界大戦後、世界は「東西」に分断されたんですよね。ドイツ、朝鮮半島、ベトナムは、普通に学校で習いますね。実は日本もそうなるはずやったのに、はっきり言うてこの樋口季一郎さんが戦ってくれはったから、日本は分断されずに済んだんや、という話です。
今も日本人のほとんどは「8月15日」に日本は降伏し、ぴたっと戦争は終わった、ぐらいにしかか考えていません。実は修羅場はそこからも始まってたんですね。あの(今も昔も)ウソつき国家、ソ連が北海道を獲ろうと考えて攻め込んで来た「占守島(しゅむしゅとう)の戦い」が始まったのは、8月18日です。
実はこんな計画もあったんや、という絵も出回っています(知っていて欲しい「戦後日本の分割占領計画」 — 山口 俊一)。
あ、ちょっとそれますが、ソ連に日本進撃を許し、手助けしてたのはアメリカですからね。林千勝さんが証拠付きで話してはります。「北方領土問題」は、実はソ連とアメリカの合作なんです。解決するはずがあらへん。
で、樋口季一郎さんは自分の判断で「徹底抗戦」を命じたんですね。日本軍は強かったんです。アメリカも優しいわけではないから、ソ連にはせっかくチャンスをやったけど、そこまでやったな、ということで、実質的に日本はアメリカだけに支配されることになった、と。
せやから実は樋口季一郎さんは国家を守ってくれた人やんか、というわけですね。昭和45年まで生きてはったんですね。せやけど戦後、日本の軍人は徹底的に貶められ、正当な評価がされてへんかった、というわけです。
ちなみに「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば、杉原千畝の名前がすぐに出て来ますが、実はその2年前に、当時、ハルビン特務機関長だった樋口季一郎が自分の判断で、臨時の特別ビザを発給するよう、満洲国外交部に指導したんやそうです。そしてこれを決裁したのは当時満鉄総裁の松岡洋右やったんです。「オトポール事件」ですね。
杉原は外務省、樋口は軍人です。そういうことです。それでも最近ようやくテレビでも触れるようになってきました(もう一人の杉原千畝…多くのユダヤ人を救い「ゴールデンブック」に記載される樋口季一郎)。いやいや、樋口さんが先やってんで、という話ですね。
戦前の日本人は立派な人が多かったんや。現場で、自分の責任で判断をして指示命令ができたんや。特に軍人は、現場でオロオロしたらあかんからな。翻って今の日本の政治家は、ホンマに目を覆いたくなりますね。誰も責任を取らへん。何もかも人任せ。言われるがまま。
やっぱりそれは、軍人がいなくなったことが原因やと思いますね。自分の判断一つで、人の命が左右される現場に常におるからこそ、精神的にも強いんやと思います。早う自衛隊は軍にせなあきませんね。
8月はいろんな意味で戦争の話が出て来ます。日本人、よう考えたら「憲法改正」て、何年言い続けてるんや?という話ですね。それより何でもええから、自衛隊を軍にしろ、と言いたいですね。
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