「バス停で大雨を待つ」〜コントが好きな理由〜
自粛中にやろうやろうとして結局してなかったアトリエ改造をとりあえず現状のベストかなってくらいまでやり切ってしまってもうこれは台本を書かないといけないんだろうなとやっと思い始めたんですが結局のところ、緊急事態宣言の後にやれたのは「denki」だけですね。少しずつ仕事の話がで始めてるんですけど昨年までがほぼ毎月何かを書かないといけないって状況だったのでまだまだって感じですね。
そういえばおそらく中止にならなさそうなコント制作の仕事が入りました。作る側としてはどのような環境でもいいから上演されてくれないとなんとために作ってるんだろうと少しでも思ってしまうとどうしても心が落ち込みます。今回のお話はどのような形でも実現されそうなのでそろそろ現実戻って来いって感じです。いろんな意見があるでしょうけど僕の中では前みたいに普通にコントを作って発表できる現実まで戻ってくるまではある意味「現実じゃない」って思ってしまっています。だからこそこの非現実な時にどのようなものを準備できていたかこれが大事だとは思ってるんですけどね。賢太みたいに体質改善だとか何冊も読書するとかそういうことをやってたかっていうと自信ないです。コントが大好きって気持ちは消えてないんですけどね。
コントが好きな理由
厳密には自分がやってることはコントじゃないけどなーとは思ってるんです。小説も書いたりするしマジックショーだって作ります。表現活動としてはコントと言ったら説明が簡単なだけでいろんなことをやってはいるんですよね。
じゃあ、どんなことを表現したくてやってるのか
これに関しては本当に単純で「笑わせるのが好き」なんですよね。
作品を作ることでお金をもらいはじめて何年も経ちますがホントにこの仕事は時代に左右されるなって思います。星新一氏が作品の世界観にはなるべく最新の電化製品や時事ネタを入れなかったのはいつの時代や環境の人にでも楽しんでもらえるようにって話を聞いたことがあります。カッコいいとか可愛いとか本当5年で変わっちゃうんですよね。流行って通り雨みたいなものです。バスを待っていると突如びしょ濡れになることもありますがバスに乗っている時に雨が降っているところを通ることだってあります。僕は免許を持ってないので自分の力でどうしようもないことです。劇団が出来て作品を作ることに集中できるようになると最初はこの人気という神の気まぐれにとても心を左右されました。数字って明確なんですよ。面白かったらやっぱり次のチケットは売れるし、アクセス数もいいねの数も変わる。だけどある日突然評価と表現の立場が逆転してる自分に気付いてしまったんです。「これ、チケットが売れるからやってるな」というか「チケットが売れることをやりたいことだと思っているな」って感じ。本当にやりたいことってなんだろうというか「人気や流行に左右されない本当にやりたいこと」ってなんだろう。評価も大事。誰も観なくていいから作りたいものを作るってことはもう思ってないし魅力も感じない。だったら「観た人にどう思って欲しいか」でやりたいことを決めるといいんじゃないか。そう考えるようになりました。
そう思うと人間が最終的に変わらないものって「面白い」と感じる行為かなぁと。
「面白い」の形は変わっていくと思うけど「面白い」って感じる行動はなくならないんじゃないかと。細かい話だし同じように感じるかもしれませんが大きく違うんですよね。少なくとも僕は楽になりました。現状いつまた前みたいに戻るか分からないです。戻ってきた時に前見にきてくれてた人がまた観てくれるかも分からない。でも人類が面白いって感情が残っているならまた大雨は降るだろうし諦めてなければそれに遭遇することだってあるかもしれない。今はむしろ強制的に雨宿りさせられてる状況ですが今は目の前のもらえた仕事を全力で頑張りたいと思います。
結局決意表明かよ。
そうですね。早く仕事報告ばっかりのブログにしたいです。
それではまた。