できない喜び
“ワク〇ン・パスポート”なんて議論も、世界中でかまびすしくなってきて。
「既定路線を外れたら、生きてすらいけない」っていう現実(ホントに?)を印象づけようという努力が、そこここで開始されはじめてるけど。
“彼ら”の第一の目的は、人々に恐怖を植え付けることなのは明白で。
その恐怖にフォーカスしてくれる人がどれだけいるのかを、彼らは常に、測り続けている。
でもね、これまで100%の信頼を置けていたメディアや学術界の欺瞞もまた、順調に露呈し始めていて。
彼らのプロパガンダは、思うように世界に、影響を及ぼせなくなりつつある。
だからこれからもっと、いろんなことが裏目に出てくるんじゃないかなぁ。
…とはいえ私、そんなことをここに書きたいわけじゃないから、三次元世界の話はこれくらいにして。
私の日常は、ありがたいことに、とてもいい感じになってきている。
これまで自ら禁じてきた“つくること”や“表現すること”へと通じる、ドアのカギも開いて。
油圧式のドアクローザーが付いてるから、勝手に閉まりはするものの。
ノブを回して力を入れれば、いつでも好きなときに開けられるようになって。
正直その、あっけなさに戸惑いつつも。
ようやく、入れた力の分だけ自分の現実に影響を及ぼせるようになったことに、興奮しちゃっていたりする。
ところが今朝、早速、そんな私をいさめるLINEがカウンセラーから届いた。
「やりたいことが行動へと移せるようになった分、頭に思い描いた通りのことができない自分をしょっちゅう実感して、じれったさを抱くことになるよ」と。
つまり、頭の中の自分と、現実の自分とのギャップを感じることになるよってことよね。
「ギターを弾きたい」って思っても、最初は思うように指が動かせない初心者から始まるのが、私たちがいまいる、この三次元なわけだから。
だけどこのトシで「できない喜び」をそんなにたくさん味わえるなんて、ある意味、すごい幸せなことだと思っちゃう。
だからとにかく、この戸惑いから、まずは早く抜け出そうっと。