アーカイヴ
ここのところいろいろあって、書けていなかったのだけれど。
何日か前に書いた、“ある”って経験について、引き続き考えていこうと思う。
私たちがいま体験している“生きる”ってこと、すなわち、“ある”って経験は。
対立概念である“ない”がないと、成立し得ないから。
“ない”への入口であり、かつ、“ある”の最後の経験でもある“死”は必然だということ。
そして死を迎えた後、私たちは“ある”を通じ、してきた経験をアーカイヴに加え、まっさらになって元いた“全体”と一体になること。
ここまでは前に書いたけど、今日はちょっと“アーカイヴ”についての説明に挑戦してみたいと思う。
これって全体から分離して“ある”をしてきた、あらゆる経験が収められたハードディスクのようなものなんだけど。
これが実は、私たちの人生のあらゆる局面で役に立ってるの。
まず生まれてくる前に、今回の人生のコンテンツを、このアーカイヴからみつくろってロードさせるんだけど。
ミッションクリアしたら、“全体”としての自分を思い出せるような仕組みになってて。
そこへと至る道筋が複数、コンテンツとして用意されてるわけ。
ところが生まれて身体を持ってしまうと、“ある”って状態を維持するために、自然と「行動せず、その場に留まり続ける」って圧力が生まれて。
それが、不必要な思考を作りだしては同じ場所でグルグルさせる、思考のワナみたいなものを仕掛けるようになるのね。
その一方で、あらかじめ仕込まれたコンテンツも稼働してるから、ミッションクリアへと向かうアクションも同時に促されてて。
そのときに与えられるサジェスチョンやインスピレーションもまた、アーカイヴから送られて来てるの。
つまり私たちの行動は、実は先人たちの経験によって支えられてるってこと。
で、私たちは「その場に留まらせたい圧力」に対抗しながら、コンテンツをクリアするためのアクションを起こすってことをくり返して。
最終的に死へと至ったときには、ミッションクリアした人も、ぜんぜんスタートすら切れなかった人も、途中までしか行けなかった人も、様々いて。
その経験も随時、新たにアーカイヴに加えられてゆくわけ。
もちろんこれは、私なりの体感からくる考察であって。
エビデンスがあるわけじゃないけど、そんなに間違えてはいないんじゃないかと思う。