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欠乏と充足

今日は最近、なぁんとなくつかみかけてる感覚の話をしようと思います。
またもや、とっても伝わりにくい話になると思いますが。
伝わる人にだけ、伝わってくれればいいかな、と。
そんなつもりで書きますので、なるべく頭じゃなく、ハートで受け取ってみてください。

まずは前提ですが、私はあらゆる存在の本質はエネルギーだと思っていて。
同時に私たち、肉体を持って物質化してるって設定で生きてますから。
やっぱり二元性の中にしか、存在できないわけなんですよ。
でも二極構造ってやっぱり薄っぺらいから、これまでは私、なるべく巻き込まれないように離れていようと思ってきたんですけど。
実はよい循環をつくり出すためには、この両極が引き合うエネルギーが、欠かせない要素のひとつであることに気付いたんです。
循環をつくるには、どうやらこの二極間の大きなエネルギーを利用すれば、効率がいいっぽい。
…やっほー、伝わってますかぁ?
まぁいいや、伝わる人が一人でもいればいいなぁと願いつつ、続けますね。
現状を変えたい、つまりよりよい循環をつくりたいと思ったら、この二極間のエネルギーを利用すればいいらしい。
でもそうすると「いい・悪い」だの、「正しい・間違ってる」だの、そういったいまの世界に横行しているマウントの取り合いに、自ら近づいて行かなきゃなりません。
だけど、それに巻き込まれてしまったら、元も子もなくなってしまう。
そこで「巻き込まれないコツはなんだろう?」って、考えてみました。
それって明らかに「欠乏」のエネルギーでいない、ってことですよね。
だって、マウントを取るって「自尊心を満たしたい」ってあがきみたいなものですから、自身を満たしてやれない欠乏感から派生するものでしょ。
だったら「欠乏」のエネルギーを出さないでいれば、回避できるはず。
そこまで考えたところで、次なる疑問が浮かびました。
「欠乏の対極って何だっけ?」
対義語を調べてみたら「充足」とありました、満たされていることです。
なるほど、そういうことかと思いました。
私、なにか願いごとがあるとき「叶ってもいいし、叶わなくてもいい」ってこころの底から思えてると、なぜか叶うなぁって常々思ってたんですよ。
これって言い換えると「叶っても叶わなくても、同じように私は満たされてる」って、「充足」のエネルギーでいられてるってことなんですよねぇ。
で、そこからの願いは叶うんです。
すなわち、よい循環が生まれるってこと。
だってそうでしょ、自分の現実をつくってるのは、自分自身なんですから。
「私、満たされてるぅ」って充足の中にいられてる人は、満たされた現実を生み出し続ける。
結局それが、自分の出したエネルギーは巡り巡って自分の元に戻ってくるっていう、エネルギー保存の法則なんです。

でねぇ、さらに思ったのは。
自然な私たちの状態って、満ち足りた状態なんじゃないかなぁってこと。
だって私たち人間は元々「所有」って概念もなく、自然と共生し、そこから食物を得て生きてたわけですから。
「欠乏」や「不足」ってその後にできた、ただの概念でしかないんです。
それを私たち、大人になるまでのあいだにこれでもかと刷り込まれちゃう。
つまり、よりよい循環をつくる道筋をふさがれてきちゃったってことです。
でもまさにいま、世界は変わりつつあって。
ここから先は誰もが、満ち足りて生きることができるようになる。
そんないまだからこそ「あなたはどんなふうに生きていきたいですか?」という問いが、とても大事になってくると私は思うんです。
ぜひ、考えてみてくださいね。

ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。

では、今日も満ち足りた一日をお過ごしください!

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