信じたいから、自分を信じる
私やっぱり「自分を信じる」ってことが、何よりも優先させるべき、いちばんの課題だと改めて思いました。
とにかく、まずは自分を信じることができないと。
その先にある「自分を大事にする」とか、「自分を優先する」とかにはアプローチできない。
なのにまだ私、これまでずっと続けてきてしまった「自分を疑うクセ」が抜け切れてないんですよねぇ。
全体像ではなく、細部に潜って「これ、おかしくない?」ってところを見付け、それを根拠に自分を疑っちゃう。
その一連の流れが、気を許すと、勝手に起こってしまってるんです。
だからいつも自分を観察してて「細かな部分に目が向きそうになってるなぁ」と気付いたら、すかさず止めるってことをしてかなきゃいけない。
これまでもそのことに何度となく気付いてきたはずなんだけど、いつの間にか忘れちゃうんだよなぁ。
やはり、かなぁり根深く私の中に根付いてしまっているのだと思います。
だからこそいま私、日々、自分を疑わざるを得ない事態に直面させられているんだと思います。
とにかく多くの人たちとは、まったく違ったことに興味を持ち、まったく違ったことを見ていますから。
やはり、ブレちゃうんですよねぇ、いつもまったく同じ流れで。
細部へと入り込んで「ここってどうなの?」ってとこを見付け、それを根拠に自分を疑っちゃう。
それをもう、やめにしたいんです。
だってやっぱり、どう考えても自分が体験している現実は、自分のメンタリティがつくっているとしか思えないんですよ。
だから“いまここ”で自分を疑ってしまうと、そのまま疑いを抱き続けざるを得ないような現実が、でき続けていってしまうわけです。
私これまで、延々とそれ、やり続けてきちゃった。
でもここに来てようやく、その背景が理解できたんですから。
もういい加減、そのループから離脱したいんです。
「私が体験している現実をつくっているのは、私自身なんだ__。」
ブレブレの私に、くり返し宇宙は、その根拠を見せてくれました。
もちろん私にとっての納得に足る根拠でしかないから、人さまに証拠として示せるような類のものではないですけど。
私にだけは、根拠は十分すぎるほどあるはずなんです。
それにね、私ここまで生きてきたんですよ。
それは、他の何より具体的な、根拠となり得る事実です。
その一点だけでも、信じるに足ると私は思います。
だから細部になんて入らず、まるっと信じちゃえばいいんですよね。
根拠なんてわざわざ、示す必要すらない「信じたいから信じる」でいい。
だって、それが自分軸ってもんじゃないですか。
「誰がなんて言おうと、自分がこう思うんだから、信じる」
それで、十分なんだと思います。
そうか、「自分がこう思うんだから信じる」って、しっかり思えてれば。
自然と「誰がなんて言おうと」って、付いてくるんだな。
人は自分を映す鏡だって言うけど、自分像がしっかり持ててくると、自然と人も尊重できて。
人の価値観を受け入れたうえで、「じゃあ、どうしよう?」と判断できる。
だって価値観の違う人とは、ムリしていっしょにいても、お互い気持ちよく過ごせないですもんね。
こないだ久しぶりに飲み屋に行って、たまたま隣合った人と、あまりに価値観が掛け離れていて…。
「それってどうなの?」って言いたくなるのを、押さえるのが大変だったんですけど。
その背景には自分を無条件に信じられてないことがあって、それで、人に対しても尊重の気持ちが持ちにくくなってたんだ。
だから人と気持ちよく関わるためにも、根本に自分への信頼感を持っとくことが、とにかく大事。
ということは「自分だけは特別」くらいで、ちょうどいいんだな。
ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
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では、よい休日をお過ごしください。