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三角社会の人たちの「理解」

こんにちは、毎日寒いですが、みなさんお元気でしょうか?
実は数日前、久しぶりに東京で懐かしい人たちと飲む機会があったのですが。
そのときに気付いたことを、忘れないうちにシェアしておこうと思います。
いやぁ私、普段、人と関わること自体が少ないので。
こういうこと、感じることも当然、少なくって。
でも、懐かしい場所で懐かしい人たちと会ってみて、当時の自分を思い出したというか。
「あぁ、私もこうだったなぁ」って感じて、それがなんとも印象的だったので、ここに書いておきたくなった次第です。

結論から言っちゃうと、三角社会だけにフォーカスして生きてる人って、自分の外側から「印象」だけしか受け取れてないんですよねぇ。
いや、「外側からのすべてを」ってまるめちゃったら、言い過ぎになっちゃうかな。
私がこのことを感じたのは、「情報」ってものを、どう受け取ってるかってことからだったんですけど。
結局、三角社会の人たちって、接した情報から「印象」だけしか受け取れてない。
たとえばこないだの韓国での戒厳令騒ぎのニュースの話をしてても、どうしてああいうことが起きたのかなんていっさい考えようとせず、調べようともせずに。
ニュースを見て受け取った、漠然とした「印象」だけで、なぜかその情報を「理解した」って感じちゃってるんですよねぇ。
いや私べつに、話をした相手をディスりたいわけじゃなく、以前の自分自身を振り返って言ってるんですけど。
日々、忙しくて深堀りしてるヒマなんてないから「隣国がクーデターだなんて不穏だな」ってネガティブな印象だけで、理解した気になっちゃってる。
つまり三角社会の人たちの理解って、理解を補うためのリンクがどこにも伸びてないんです。
ホント、たったいま受け取ったその情報のみしかないから、知識がムッチャ薄っぺらいというか、付随してくるものが何もなくて。
せっかく話をしても、漠然とした印象だけしか語れないの。

いやぁ、これねぇ私、会社員時代にいちばんイヤだったとこなんですよ。
自分自身のね、いちばんイヤなとこがここだった。
これがあったから会社辞めたってくらい、イヤでイヤで仕方なかったんだけど。
具体的に何がイヤなのか、自分でもよく、理解できてなかった。
ただ、「ちゃんとした、まともな“理解”ができるくらいまで自分の知識量を増やしたい」って欲求だけは感じてた。
会社ルールの外側にある「社会」についての知識をもっと、自分に入れたいって渇望ですよね。
でも、「ここにいたらできない」って思ったんですよねぇ。
それで私、会社辞めたの。
そうか、そういうことかぁ。
こうして書いてていま、ようやく理解できました。
どこまで行っても浅薄でしかない、深みのない理解から脱出したいって欲求だったんだ、アレって(昔の私のことですよ!)。
このことを腑に落とすために私、今回の経験をしたんだなぁ。
このたびは学ばせていただき、ホントにありがとうございました!

でね、いま、この自分を改めて見直してみて。
会社を辞めるときに感じていた欲求を、果たして、満たせたのかというと…。
はい、あのときの欲求は完全に満たすことができました。
ホント自分でもビックリするくらい、目にした情報から瞬時に、バックボーンとなる過去データへとリンクが伸びるようになった。
「あ、何日か前に読んだあのニュースからこう発展したんだな」とか、あるいは「これってきっと、アレとつながってくるよね」とか、それなりに確度の高い予想へとふくらませることもできるようになった。
この点だけを取ればですが、会社を辞めたときの私からは、想像することすら難しい自分になれたと感じてます。
だからこそ、いま起きていることが見抜けたし、新しい世界に向けて準備することもできたんですよねぇ。
さらにカウンセリングを経て、メンタル面でも起伏がなくなり、いつも穏やかな状態で過ごせるようになって。
いままさに予想したとおりに、世界が一気に引っ繰り返ろうとしてる。
いやぁホント、よくここまで来れたなぁと思います。
まぁコレ、いまはまだほとんどの人に伝わらないんですけど、ね。

そんなこんなで、今日はこれまで。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。


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