理屈じゃないのよ
今日でBRICKSサミットも閉幕。
そんな特別なタイミングを、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
おかげさまで私は、いたって元気に過ごしております。
でもねぇ、さすがにエネルギーが重いというか。
ちょっと、息を詰めて見てる感じ、ありますよねぇ。
とにかくいまは、何が起きてもおかしくない状況ですから…。
でも、そんな中だからこそ。
なるたけリラックスして、自分らしく日常を送れたらいいなと思いつつ、過ごしております。
さて、そんなおごそかなタイミングに、こんな話しちゃっていいのかな?って周囲を見回しちゃうような話題なんですけど。
実はいま私、これまでになくお金がないんです。
次、カードの請求が来ちゃったら、完全アウト👍ってくらい破綻してる。
ところが逆に、メンタル的にはムッチャ落ち着いてるんです。
これがねぇ、ちょっと自分でも信じられないんですけど。
実際に、そうなんだから仕方ない。
いや、さすがに前の私だったらいまごろ、生きた心地してないと思いますよ。
だって「お金がない」なんて、人としてサイテーな状態だと思ってたし、そんな自分のダメさ加減をとてもじゃないけど人前で口に出せないって怯えてた。
だから前の私であれば一人、震えながら寝込んでた気がします。
それがねぇ、なぜかいまはこうして、誰もが読めるネット上に自ら、さらしちゃってるわけです。
「私いま、お金がないんですぅ!」って…。
まぁもちろん、自慢じゃないですけど私、発信力ないし。
このブログを読んでくれてる人も、ほんの数人だろうと思いますけど。
でもそれにしたって、世界中の誰もが自由に読める場所にこんなこと上げるのは、前の私であれば考えることすら恐かったはず。
だとしたら、前の私といまの私の違いって、いったいナニ?って思いますよねぇ。
せっかくなので今日はそれを、突込んで考えてみたいと思います。
だって、こんな機会、滅多にあるもんじゃないですから。
もちろん、カウンセリングのおかげでしかない、この違いですが。
やはり最初に書いておかなきゃいけないのは、自己肯定感の差だと思います。
カウンセリングを経たことで私、ようやく自分を認められるようになった。
つまり「お金を持ってる私も、持ってない私も、どちらも同じように価値がある」ってフツーに思えるようになったわけです。
あるいは「私の価値は、持っているお金の多寡によって決まるわけじゃない」でもいい。
これらの理解が、こうして実際にキーを打っててもまったく抵抗を感じないくらい、自然な理解になった。
そのうえで、お金ってものに対する理解も書き換わってますよね。
前は「十分なお金を持っているのが当たりまえ」あるいは「持ってなきゃいけない」だったのが。
「長い人生、十分なお金がないときだってあるよね~」になった。
まぁそれが、社会人としていいとか、悪いとかの議論は勝手にやっといてもらうとして。
前の私といまの私の違いに特化して言うなら、そんなふうに、認識がムッチャゆるぅくなった。
でね、私はそれでいいと思ってるんです。
だって本音を隠さなきゃ、誰にだって一度や二度、お金に困った経験くらいあるでしょ?
だからお金なんて、なければないなりに生きればいいし。
もしもこのまま、クレジット支払いの請求が来ちゃったとしても「どうにかなるっしょ」って思えてるんです。
もちろん「その前に引っくり返りが来る」って、信じてるってこともあるし。
社会人として見れば、それじゃ全然ダメなのも分ってる。
「なんの裏付けもないじゃん、そんなの」って言われれば、言い返す言葉はありません。
でも世の中が大きく変わるときって、そんなもんなんじゃないかなぁって、私はいま思ってるんです。
世界的な視点で見れば、いま現在、私と同じような境遇におちいってる人は少なくないだろうし。
その人たちがみんな「何とかなるっしょ」って、穏やかな気持ちで過ごせていれば、ホントにそうなる。
だって間違いなく、これまでの社会構造は破綻してるんだもん。
あとは分厚くなりすぎたツラの皮一枚で、いつまでウソがつき通せるのか?ってだけの話なんですよ。
引っくり返りが明日あっても、私のクレジットカードの支払日だったとしても、ぜんぜんおかしくない。
つまり、宇宙の胸先三寸ってことですよ。
だとすると私はやっぱり、どうにかなるような気しかしません。
これってもはや、理屈じゃないです。
なんとも、頼りない結論で申し訳ありませんが…。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。