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自分の世界の外側で起きていること
自分が見ているこの世界(以後“自分の世界”と呼ぶ)は、自分のこころがつくっている。
いい気分で過ごしていれば、いい気分で過ごせるような現実がつくられてゆく。
これは、どうやら間違いないようだ。
では、自分の世界の、外側で起きていることはどうなのだろう?
たとえば昨日、永田町であった総裁選。
当事者として参加されていた方々は別として、国民にとって、あれは“情報”でしかない。
「岸田さんが勝ちました、80票以上の差をつけた圧勝でした」という、情報。
一方的にもたらされるだけで、私たちが影響を及ぼすことはできない。
でも、よく考えてみてほしい。
実際には、本当にあったのかどうかも分らない。
もしかしたらシナリオがあって、ディレクターの指示どおりに演じられただけかもしれない。
なのに私たちは、実際に投票が行われたと信じて疑わない。
それどころかみな自分ごととしてとらえ、情報ありきで判断したり、決断したりする。
つまり、情報は、私たちに影響を及ぼすことができる。
自分の世界と、その外側にある情報とが、リンクし合っていると人々がとらえている限りは…。
だけど、冷静になって考えてみると。
一瞬一瞬、自分でつくり出している、自分の世界と。
私たちが影響を及ぼすことのできない、一方的にもたらされるだけの情報とが。
リンクし合っているととらえるのは、無理がないだろうか?
それに、情報のほとんどは、自分の世界に直接は影響しない。
総理大臣が岸田さんになっても、彼が決めた政策が私たちの生活に影響することはあっても、岸田総理が直接、私たちに影響を及ぼすことはない。
海外で起っているデモも、アイドルの結婚も同じ。
私たちとは別のところで、起きている(とされている)だけ。
だとしたら情報を、必要以上に深刻にとらえなくていいのではないか。
「そんなことも、あるかもねぇ」くらいで、ちょっと離れた場所から“眺める”くらいで十分だと私は思う。
自分の世界と情報とのリンクは、多くの人が思い込んでいるほどは、強力なものではないかもしれない。