楽しく過ごす“罪”
つい何日か前までは「できてない」ことにしか目が向かず、究極にモヤモヤしてたのに。
あることを機に、ウソみたいに気分が楽になった。
今日は忘れないうちに、その経緯を書いておこうと思う。
とにかく、ひどいモヤモヤ状態が続き、私の中にぐつぐつと煮えたぎるフラストレーションがたまりまくっていて。
でも、どうして自分がそんな状態におちいっているのか、まったく理由がつかめておらず。
ちょっとでも気分を改善したいと、カウンセラーをつかまえては「どうして私、こんな状態になっちゃってるの?」とか、「もしかして、あのせい?」「それとも、このせい?」と、理由を見付けようと必死になってたら。
そんな私のもがき苦しんでいるさまをややしばらく傍観した後、カウンセラーは答えを教えてくれた。
したいことを、したいようにして、楽しくいることを…。
私は無意識のうちに、“罪”と認識してしまっている、と。
最初は「はぁ、罪?なにソレ?」と、まったくピンと来なかったんだけど。
すぐに「ははぁん」と、腑に落ちた。
幼いころ、母親に「今日、こんなことがあったよ」と、幼稚園や学校であったことを報告すると。
私としては「そう、よかったねぇ」みたいに、ただ受け止めてくれることを期待してたのに。
いつも必ず「私は忙しく働いてるのに、あんただけ気楽でいいわねぇ」などと、ネガティブな反応を返され。
そういった苦い経験が積み重なって、私の中に「自分だけ楽しくいるのはいけないこと」という、認識ができてしまったに違いない。
でも、それがいまだに機能してるって、どういうこと?と思ったら__。
なんか、だんだん腹が立ってきて。
何ひとつ悪いことはしていない幼い私を、自分のネガティブな感情処理のために私物化していた母親の、エゴイストっぷりが許せなくなり。
気付いたらカウンセラー相手に、母親への文句をダァーッと吐き出していた。
で、ひと通り吐き出し終わったら、胸がスッーっとして。
ウソみたいに気分がよくなったわけ。
以降、モヤモヤは影を潜め、いまに至るまで気分よく過ごせている。
ウソでしょ?と、自分でも思うけど。
ホントにこんなこと、あるんだなぁ…。
オドロキ。