大災害
私、ここんとこ「地球の夜明け-祓い師 T氏と小林の妄想チャンネル-」ってYouTubeチャンネルを、楽しみに見てきたんですけど。
昨夜をもって最終回、ということで。
これまでも例の来年7月に起こると言われている大災害について取り上げられることが多かったんですけど、昨夜もほぼ、その話に終始してました。
でねぇ、なんか私その話聞くたび、違和感みたいなものを感じてきたんですよ。
というのもその話を最初に聞いた別のYouTuberさんが、災害のことを話すときムッチャ生き生きして、喜んでるようにすら見えたからなんです。
そして災害から逃れるために「どこどこに移住しろ」って、しきりに言ってて。
私、それ聞いてムッチャ、モヤモヤしたんですよ。
「災害のために移住する」ってそれ、本末転倒でしょ、って。
「死なないために生きる」のと、いっしょの理屈やーん、って。
いや、冒頭に書いた「地球の夜明けチャンネル」では、移住しろなんて言ってないんですけどね。
「災害に生き残ること」にフォーカスし続けて生きるなんて、そんなの、しっかり人生ゲーム楽しんでることになるんですか?って疑問に思っちゃうのは確かです。
もちろん、備えることは大事だと思います。
私も「地球の夜明けチャンネル」見て、踏み抜き防止インソールをポチりました。
だけどね、いま、世界が大転換の時代を迎えてて。
これから私たち、新しい世界をつくってかなくっちゃいけないタイミングなんですよ。
精神性を上げてくことはもちろん大事、それには異論ないけれど。
目的はあくまで、誰もが住みよい新しい世界をつくり上げてくことなんじゃないかなぁって、私なんかは思っちゃうんですよ。
というか私個人は、災害に生き残ることを目的にしちゃったら、モティベーションは上がらないしワクワクもしないんです。
とにかく、これまでのデタラメな支配・被支配の世界を終えて、調和の世界を生きることが楽しみでしょうがない。
だから私は、あくまでそこにフォーカスしてたい。
…というかねぇ、もしも仮に災害で私が死ぬことになるとしても。
それって、それこそ私が生きて新しい世界をつくり上げてゆくよりも、そこで死んだほうが残った人たちを鼓舞することになるとか。
そういった宇宙の、全体の調和を視野に入れた采配の、結果でしかないんですよ。
だったらそれで仕方ないし、むしろ余計に残された時間を、次の世界をイメージすることに使いたい。
だって、イメージこそが創造のスタートなんですから。
私たちが、次の世界をつくり上げていくんですから。
だから災害に関しては、自分なりに備えたら、それでおしまいでいいと私は思います。
その場に留まり続けてないで、どんどん先に進みましょうよ。
それとねぇ、私、引っくり返りが完了するのを見届けたら。
森の中に平屋を建てて、移住したいなぁって思ってたんですよ。
もっと自然に近い場所に、拠点を移したいなぁ、って。
でもこれ、決して災害を生き延びるためじゃなくって、自分の創造性と強く深くつながりたいと考えるようになったからなんです。
「死なないために生きる」なんて、そんな消極的な理由じゃない。
だから「いっしょにしないで!」って気持ちも、もしかしたらあるのかもしれません。
たまたま、タイミングが合っちゃっただけです。
とまぁ、来年7月に来るとされている大災害をめぐる発信に対する、私なりの違和感を書いてきましたが。
「地球の夜明けチャンネル」のトシさんも、別に大災害にだけフォーカスし続けてろなんて、言いたいわけじゃないと思うんですよ。
それに、これから先に対するとらえかたはおおかた、私と大差ないと思う。
だから、私のほうが歪曲して見ちゃってるとこ、少なからずある気がするんですけど…。
私、こう見えて女だし、女はゼロからイチを生み出すのが仕事なんですよ。
だから「崩壊が終わって弥勒の世がスタートすること」には絶大な興味があるけれど、「崩壊そのもの」にはあまり興味は持てない。
だから、2時間も掛けて微に入り細に入り話されても興味が続かないし、違和感が募るばかりでした。
まぁ、トシさんご本人にこれを読まれることはないだろうけど、それが私の正直な感想です。
では、今日はここまで。
もしも最後まで読んでくれた方がいたなら、ありがとうございました。
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