「現実」とは?
私ホントに、誇張ではなくこころの底から「自分の体験している現実は、自分のメンタリティがつくっている」と考えているのですが。
実はこのことを話したら、ある人から「傲慢だ」と言われたことがあって。
そのときにすぐ「あぁ、この人とはイメージしている”現実”像が違うんだなぁ」と感じたのですが。
残念ながらその場では反論できず、いまもなお、そのままになってしまっているので。
今日はせっかくですから、私がイメージしている「現実」なるもののイメージについて書いてみようと思います。
もちろん人によって、本当にさまざまなイメージがあるのだろうと想像できますが。
こと私だけに限って言えば、あらゆる存在の本質はエネルギーであり、現実というのはその反映に過ぎないという認識なので。
現実における人と人との関わりは、エネルギー対エネルギーとして起こった目には見えない交流を、身体を持った私たちに落とし込んだ「再現」でしかないと思っています。
つまり自分も他者も動物も植物も物質も世界も、あらゆる存在をまるっと一気に脳が(疑似的に)3D化したものが「世界」であり、そこで起きていることが「現実」だと私はとらえているわけです。
分りやすく言うなら、「目には見えないエネルギーどうしの交流を、脳が瞬時に映画化して見せてくれている」という感じでしょうか。
まぁ細かいことを言えば、脳というのも映画内の存在ですから正確ではないものの、理解はしてもらいやすいと思います。
すなわち私の理解では、誰もが自分の脳の特性に応じた演出をほどこした、自分オリジナルの映画(人生)を見ている、ということになります。
この「自分オリジナルの」というのがキモで、私たちは「誰もが同じ世界を生き、同じ現実を体験している」と感じているだけに過ぎず…。
実は人によって、かなり多様な世界を見、バラエティに富んだ現実を体験していると私は思っています。
ですから私の理解においては、万人に共通した「真実」などなく、それぞれの「私なりの真実」しか存在し得ないんです。
さらに最近になって、先に書いた「脳の特性」というのが、メンタリティに当たる「ものごとのとらえ方の特性」ではないかと、自分の経験から思い至りました。
これを簡素化して言うと、これまで何度も書いてきた「自分の体験している現実は、自分のメンタリティがつくっている」になるわけです。
なぜこのように感じるようになったかというと、小学校のときに習ったプラトンの「洞窟の比喩」が、ずっと頭にあったからかもしれません。
自由を奪われ洞窟に閉じ込められた人々が、壁に映る影を、自分に起きている「現実」だと思い込んでしまうという比喩を用い…。
プラトンは「人生とは、そのようなものだ」と言うんです。
現実なんて、影の濃淡の揺らめきに過ぎない、って__。
これを習ったとき、身体の中を電流が走ったような衝撃を受けました。
で、それ以降常に頭の中に、この洞窟の中の情景があった気がするんですよねぇ。
だから自然と、世界をこのようにとらえるようになってしまったのかもしれません。
もちろん、これは私が感じている「現実」のイメージに過ぎず、「これが真実だ」なんて言うつもりはさらさらありません。
むしろ、みなさんがそれぞれ自分自身に立ち返り、独自のイメージを見付けていただけたらいいなぁと思っています。
だって、それってきっと「自己実現ゲーム」に、とても役立つはずですから。
また、今日書いた私のイメージが傲慢と受け取られようと、何と思われようと、それは仕方ないことだと思います。
ただ私は、あらゆる自分をまるっと信じると決めたので。
私独自のイメージを変えるつもりは、一切ありません。
悪しからず。
ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
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