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「正しい」も「間違ってる」もない

私はこれまで日常的にこう、考えてきました。
「もしかしたら私が、間違ってるのかも」
あるいは「私の考えてることって、ホントに正しいんだろうか?」
でもこれって、ナンセンスな考えです。
だって、誰もに共通した「正解」なんて、存在しないんですから。
特に最近は、みな同じものを見ているようでいて、実は一人ひとりがまったく別の世界を見ています。
私の目には昨日書いたように、誰もが予定調和に従って、やるべきことを粛々とやっているように見える。
でも多くの人は、そうは見えていないのでしょう。
先が見えず、不安に打ち震えている人もいれば、いかにも強引にものごとを決めていってしまう政府に対し、ムカっ腹を立てまくってる人もいるかもしれない。
そう、数年前に比して、ぐっと「正解」はバラエティに富んだものになってきているのです。
だとしたら「正しい・間違っている」の二元論を振りかざしたところで詮無いことは、誰の目から見ても明らかなのではないでしょうか?

みんな一人ひとり、違ってていいのだから。
正解だって、いくつあってもいいんです。
…というか、すでにいくつもあるんだから、受け入れるしかないんです。
なのに、現実に即していないことは誰の目にも明らかなのにも関わらず、それでも「たったひとつの正解」を追い求めてしまうのは。
それ、明らかに“刷り込み”の結果です。
小学校から(あるいは保育園から)、大学に至るまで、二十年近くにわたり(人によってはもっと長い期間にわたり)、何度も何度もくり返し「正解はひとつだ」と刷り込まれてしまってきたんです。
だから常にその「正解」を自分自身に当てはめ、「私は正しいのだろうか?」と不安に感じてしまう。
でも、「お金」というたったひとつの価値(というマボロシ)を追い求める時代はもう、終わったんです。
誰もが、自分なりの正解を追求し、その正解はバラエティに富んでていい。
私はものをつくるのが好きだからいま、日々使うものを、使いやすくアレンジすることに夢中になってます。
昨日は、はじめて使う電動工具に慣れなくて、大失敗してしまいました。
でも失敗によって多くを学んで、より求める正解に近付ける、行動ができるようになる。
それで、いいんですよね。
すべては、そのための経験なんです。
だからホントに、人生に不必要なことは、ひとつたりとも起こらないんです。
みんな大事な大事な経験で、私たちはそれを、誰もが誇っていいんです。
私も苦しい経験をたくさんしてきましたけど、これからそれが、役に立っていくんだと思います。
もちろんこの先だって、苦しい経験が待ってるかもしれない。
でもそれが、私の未来を切り開いて行ってくれるわけで。
それは、間違いないことだと、私には思えます。
当然これは、私だけに当てはまることじゃありません。
地球上の、あらゆる存在みんなに、あてはまることです。
だからどうか、恐れずに。
見えない未来を、楽しんで生きましょう。

ホームページをつくったので、ぜひ見てみてください。
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イーロン・マスクさん辞任しないそうで、昨日はたいへん失礼しました。

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