リミッターを外す
なんだか昨日ここに書いたことこそ、この三次元ゲームの正体なのではないかと思えて仕方なくなってきた。
きっと、これは、おいそれと伝わることではないのだろうけれど。
ここには、感じたことは何でも書くと決めたので、ちょっと説明に挑戦してみようと思う。
私たちは、無限大の可能性を持って、この世界に生まれてきた。
そもそも私たちは、自分の望むような現実を作り出すことができる存在なのだから、思い通りに生きられるのが当然で。
なので赤ちゃんのときには、あらゆる唯一無二の個性が望むことのできる、すべてが起こり得る無限の可能性を持っていたことになる。
ところが“常識”なるものにガチガチに縛られてしまっている大人たちに、自分たちに都合のいいように行動を制限され、「〇〇すべき」を押し付けられているうちに。
自然と自分を「これこれこういう存在だ」と、定義づけてしまう。
「できること」と「できないこと」を切り分け。
「やったことのあること」と「やったことがないこと」を切り分け。
危険がなく、失敗する恐れの少ない範囲のみに、自分を押し込める。
それはすなわち、自分の可能性を自ら狭めることに他ならない。
その定義づけが潜在意識に刷り込まれれば、定義された範囲を超えた現実は起きなくなるから。
赤ちゃんのときには平気で使えていた地平を、自ら手放すことになり。
やがては、無限に広がる世界が存在していることすら、忘れてしまう。
こうなった時点で設定完了、いよいよ待ちに待った三次元ゲームのスタートだ。
三次元ゲームは、自分が“すべて”だと思っている範囲を超えた、その外側にもっともっとずっと広い世界が広がっていることに気付くことであり。
知らずしらずのうちに自分が規定していたリミッターを、外すことであり。
無限に広い世界を、自由に使えるようになること。
つまり、赤ちゃんのときに持っていた、無限の可能性を取り戻すことだ。
なんだ私、ずっとゲームの中にいたんだね。