人間関係のブロック
5日目。
すいません、やっぱり1日空いてしまいました。
昨日は停電だったので、冷凍しといたもも肉が傷んでないか心配です。
しかも昨日は、4本つづきの差し歯まで取れちゃって、最悪…。
とはいえ、なんだかメンタルは、この100日間チャレンジ(いまでは110日間)を始めたときよりは明らかに改善してきた感じがしてます。
始めた当初は、核となるメンタルブロック「夢中になると自分を失う」に対し、無力感しか感じなかったんですけど。(「ふたつの疑問」参照)
いまは少し、そうしたブロックがあるってことに、慣れてきたのかな?
ちょっとだけ、アンタッチャブルな印象が弱まってきました。
それと、実はもうひとつ、ほぼ同時期に気付いたブロックがあって。
それがねぇ「私は人から大事にされない」っていう思い込みなんです。
私の場合は特に、こちらから投げ掛けたことに対して相手から何の反応も返ってこないこと、無反応なことに対して激しく感情が揺さぶられちゃう。
「ないがしろにされた」って、落ち込んじゃうんですよ。
そのことには、なんとなーく気付いてはいたんですけど、明らかにずっと見ないようにしてきて。
今回はじめて、しっかり気付くことができました。
このブロックの存在が、私が何より苦手な「人と関わること」に対して、大きく影響していたんです。
子どものときに「甘える」という経験をまったくさせてもらえてないので、人一倍「受け入れられたい」って願望が強いくせに。
このブロックがあるせいで、同時にその補完材料も探しちゃってたんです。
つまり私が人と関わるときって、一方で「受け入れられたい」と強く願いつつ、もう一方で「大事にされない証拠」を探してる状態だったわけです。
この構造こそが、人生が望み通りに進まない原因の「欠乏のエネルギー」がはたらいちゃってる状況ですよねぇ。
一方で「ほしいほしい」って願いながら、もう一方で「ないないない」って、持っていないことに過度にフォーカスして願いを打ち消しちゃう。
それどころか、ネガティブなブロックのほうがどうしたって引きが強いので、私の場合でいえばこれまで際限なく「大事にされない現実」のほうを量産し続けてきてしまったわけです。
それだけじゃありません。
さらによくよく考えてみると、このブロックが影響してるのって「人と関わること」に対してだけじゃなくて。
なんと私がいま、何よりも強く望んでいる「やりたいことが好きなようにできる自分になる」ことにも、深く影響してました。
というのも、私のやりたいことって「物語を書く」ことであり、「ものをつくる」ことで…。
それって、一言でまとめると「自分を表現すること」なんですよ。
これがねぇ、今回の人生で私がやるって決めてきたことなんだと思います。
ところが、自分を表現するためには、どうしたって他者が必要になってくるんですよねぇ。
たとえばこのnoteを例に取ると、読者のみなさんに対して書くっていう構図に、どうしたってなっちゃう。
だって、それが「発信」ってもんですもんねぇ。
でも私の場合、他者が関与すると例外なく、さっきのブロックが発動しちゃうんです。
この場合は少し姿を変えて、一方で「多くの人に読んでもらいたい」と願いつつ、もう一方で「誰からも相手にされないかもしれない」って恐れを抱いちゃう。
もちろん構造的には同じですから「なかなか読者が増えない現実」を、いまなお量産し続けてるってことですよねぇ。
実は、そのことに気付いたから、この100日間チャレンジ(いまでは110日間)を始めることにしたんです。
やっぱり、自分を表現し続けてくためには「人からの反応を得るためにする」ってモティベーションでは限界があるんですよ。
子どもたちにならって「自分がやりたいからやる」ってモティベーションに、上書きしないといけない。
そのためには、たとえ反応がゼロであっても、あるいは罵倒される一方だったとしても、へこたれない自分をつくる必要があった。
そのために、この、自分への挑戦を始めてみたってことです。
で、数日やってみて、少し慣れてきたんですかねぇ。
メンタルが改善したのは、そのせいもあるのかもしれません。
あと、これまでは守ろうとしていた秘密っていうかなぁ、自分の中の見せちゃいけない部分っていうのも無意識にさらしちゃってる感じがあって。
隠さなきゃいけない煩わしさから、開放されたのも影響してるかも。
とはいえ決して、夢中になることへの恐怖心がやわらいだわけではないので、まだまだ最初の一歩を踏み出しただけって感じですけど。
継続しか道はないって理解はできたので、まずは行けるところまで、行ってみようと思ってます。
では、もしも最後まで読んでくれた方がいたら、ありがとうございました。
また明日。